思いを込めた特別な品6
母はながなくなり
やがて。すみれは女学校の5年生と
なった。
手芸の好きな女学生で友人に
多田良子、田崎民枝がいた。
すみれは、彼女たちのために
もんぺに四つ葉のクローバーの
刺繍をした。
自分のもんぺにもクローバーが
あってみんなおそろいだと
笑った。
昭和17年、このころは次第に
戦争の色が濃くなっていって
いる時代だった。
トト姉ちゃんの153で
花山が最後の原稿をかきます。
それは戦争特集のために
読者から戦争体験を募集する
ための原稿でした。
その書き出しが
「その戦争は昭和16年から20年まで
つづきました。それは言語を
絶する暮らしでした」と書き出しています。
つまり、昭和17年のお話とすれば
もう、かなり国民の暮らしが
苦しくなっている時代です。
また、遠足では
訓練もあってあるいて山に登ります。
それも、兵隊さんのように歩くのです。
自分のペースで歩くのではありません。
これも、不思議だなと思いましたが
きっと戦地の兵隊さんを思って
だらだらしないという精神論ではと
思います。
多田良子は体がよわく、遠足は無理だと
すみれと君枝がいったが
「母と一緒に練習した時は
大丈夫だった」といいます。
君枝は呼吸が困難になりながらも
やっとの思いで山の上につきました。
遠足のお弁当は
日の丸弁当と決められていた
ので、おなかすいたといって
お弁当をあけても、白いご飯に
梅干が一個でした。
高西悦子のグループは
おいしそうな匂いがする
お弁当でした。
あきらかに、規則違反をして
おいしそうなおかずを
いれていました。
すみれたちは、非難をしながらも
おいしそうなのでうらやましそうに
みました。
すると高西は何をじっと見ているの
と、ケンカ腰です。
そこへ、野上潔がバイクで通りかかり
ます。
「こ嬢ちゃん、こんなところで
なにしてんの?」
と聞くのですみれはどきどきしました。
この時代、バイクに乗って
いるなんて、なかなかだったはずです。
ある日、坂東営業部では
野上取締役と五十八が話をする。
「戦地へ行った社員が帰ってきても
仕事に復帰できるようにしておきたい」
と五十八が言った。
「軍の仕事がありますので大丈夫です」と
野上は言う。
潔は、事務所にはいってきて
「これはこれは貴族銀閣下殿」と
五十八に挨拶をした。
五十八は議員になっていた。
だが、節約政策のもと商売も縮小と
なり、坂東家は多くの使用人を
解雇しました。
その解雇された使用人のなかに
小野明美の母、松がいました。
不満を漏らす明美にきみは
「まだまだがんばる」といいました。
明美は18歳、看護学校を出て
看護師になります。
しかし、あの、泥棒ぬれぎぬ事件で
深く傷ついていました。
泥棒をしたわけではないのに
泥棒と言われて
母は明美が悪いことをしたわけではないのに
「すんません」と謝るし
明美は坂東家に不満を感じていました。
そして通り過ぎるすみれをじっとみて
いました。
ゆりは五十八に大学を出たら
外国へ行って勉強してから
坂東営業部の仕事をすると
いっていましたが、戦争で外国へ行く
ことができなくなったいま、大学を
でて、父の会社へ就職すると
いいました。
五十八は今のご時世では
それよりも、普通に幸せな結婚を
して家庭に入って欲しいと
反対しました。
ゆりは、おこってぷいっと
出ていきました。
「私が女やからそういうのね」
といいながら。
すみれは多田良子や田崎君枝と
手芸部を作っていました。
こんな刺繍したいなとデザインを
考えても、材料を買うにも
配給制なのでなかなか新しい材料を
手に入れることができません。
あるもので何とかしましょうと
いう結論に至りました。
女学校では、英語の授業が
敵国語というのでなくなりました。
英語を学びたいと思っている
高西悦子は、大変憤慨していました。
其れに比べて、すみれは手芸部を
作っていたので、手芸部には
英語の授業廃止は
関係なくていいわねと
嫌味を言います。
君枝ははしたないと言いました。
小さい声だったので悦子は
え?なんとおっしゃいましたの?と
聞きました。
君枝は、英語廃止は国が決めたこと
です。勝つまでの辛抱です。
なのに、当り散らすなんてはしたないと
いったのです。と言い返しました。
すみれは、君枝の勇気に圧倒され
ました。高西は去って行きました。
まだこのころは国民は戦争に勝つと
信じていました。
でも、しだいに、戦争という大きな
ふこうに翻弄されるようになります。
すみれは神戸の街が見える
山に登って
潔と話をしました。
潔は、バイクに乗っている。
ガソリンは国に差し出さなければ
ならないのです。
潔は全部使ってしまおうと思うと
いいました。
何があったの?
あったといえばあった。
召集冷笑が来た。
すみれは、何も言えませんでした。
小さいとき
麻田の店に行こうとして
はぐれたときのことを
父に怒られて、麻田が靴を
納品できずに困っているとき
すみれは大声で自分が悪かった
だから、麻田さんの靴を買わないと
言わないでほしいといったことが
あります。
そのとき潔はこ嬢ちゃんは勇気があるな。
思っていることを言えるというのは
勇気がいることや。たいしたもんや。
そういって、すみれのあたまに手を
やって、撫でてくれた。
今の自分に勇気があるのだろうか。
すみれは、潔に思いを寄せる
淡い気持ちに気が付きました。
ところが、
ゆりも、潔が好きなようでした。
潔とゆりがいる部屋をのぞくと
ゆりが潔に相談があるといった
といいます。
何の相談かときくと
ゆりは、将来のこと・・・と
うれしそうにいったのです。
*******************
朝ドラふぁんとしたら
この時代は、苦しいと
どの作品もそうえがかれましたね。
杏さんのごちそうさんにも
花子とアンにも、
マッサンにも
そしてトト姉ちゃんにも・・・。
トト姉ちゃんはまだまだ記憶が
定かでありますので
たしか、花山がこう書いていたと
思いました。「その戦争は
昭和16年から20年まで・・
言語に絶する暮らしでした・・・」
森田屋さんでは、お弁当の材料が
なかなか手に入らなくて
そのうえ、お弁当を買うことも
贅沢と言われて
ついに、高崎へ行きます。
軍の工場があるのでここで
食堂をすればもうかるということ
で、いきましたね。
さまざまな暮らしが排除され
ました。
花山は戦後、普通の暮らしを大事にして
いたらあの戦争は起きなかったと
いいました。
そうです。
日常の何気ない暮らしこそが
平和の原点だと
思います。
其れこそが大事なものだと思います。
だから、敵は庶民の暮らしを
破壊しようと、空襲を
仕掛けてきました。
軍需工場を攻撃するのではなく
軍の基地を攻撃するのではなく
庶民の暮らしを破壊することで
戦意を喪失させることが
一番だと判断したのでしょう。
中東の戦争も多くは庶民の
暮らしを攻撃されています。
それは相手にとって大打撃と
なるということです。
だから、普通の暮らしを大事にしましょう
と私も思いました。
大橋靜子さんのエッセイは
小さな心配りにあふれています。
そうそう、町内会の
組長さんが(中川さんかな)
小橋家では庭に咲いていた
小さな花を活けていることを
批判しました。
小さな幸せを否定することは
生きるエネルギーを奪い取る
事に他ならないと思います。
すみれがモンペに
クローバーを刺繍しました。
小さな幸せを友だちたちは
共有したのです。
そしてどんどんお話は
戦争の不幸へと向かって行きます
が、すみれのいく先は
どうなるのでしょうか?
今週から始まった
べっぴんさんに、やっと気持ちを
合わせることができるようになり
ました。
母はながなくなり
やがて。すみれは女学校の5年生と
なった。
手芸の好きな女学生で友人に
多田良子、田崎民枝がいた。
すみれは、彼女たちのために
もんぺに四つ葉のクローバーの
刺繍をした。
自分のもんぺにもクローバーが
あってみんなおそろいだと
笑った。
昭和17年、このころは次第に
戦争の色が濃くなっていって
いる時代だった。
トト姉ちゃんの153で
花山が最後の原稿をかきます。
それは戦争特集のために
読者から戦争体験を募集する
ための原稿でした。
その書き出しが
「その戦争は昭和16年から20年まで
つづきました。それは言語を
絶する暮らしでした」と書き出しています。
つまり、昭和17年のお話とすれば
もう、かなり国民の暮らしが
苦しくなっている時代です。
また、遠足では
訓練もあってあるいて山に登ります。
それも、兵隊さんのように歩くのです。
自分のペースで歩くのではありません。
これも、不思議だなと思いましたが
きっと戦地の兵隊さんを思って
だらだらしないという精神論ではと
思います。
多田良子は体がよわく、遠足は無理だと
すみれと君枝がいったが
「母と一緒に練習した時は
大丈夫だった」といいます。
君枝は呼吸が困難になりながらも
やっとの思いで山の上につきました。
遠足のお弁当は
日の丸弁当と決められていた
ので、おなかすいたといって
お弁当をあけても、白いご飯に
梅干が一個でした。
高西悦子のグループは
おいしそうな匂いがする
お弁当でした。
あきらかに、規則違反をして
おいしそうなおかずを
いれていました。
すみれたちは、非難をしながらも
おいしそうなのでうらやましそうに
みました。
すると高西は何をじっと見ているの
と、ケンカ腰です。
そこへ、野上潔がバイクで通りかかり
ます。
「こ嬢ちゃん、こんなところで
なにしてんの?」
と聞くのですみれはどきどきしました。
この時代、バイクに乗って
いるなんて、なかなかだったはずです。
ある日、坂東営業部では
野上取締役と五十八が話をする。
「戦地へ行った社員が帰ってきても
仕事に復帰できるようにしておきたい」
と五十八が言った。
「軍の仕事がありますので大丈夫です」と
野上は言う。
潔は、事務所にはいってきて
「これはこれは貴族銀閣下殿」と
五十八に挨拶をした。
五十八は議員になっていた。
だが、節約政策のもと商売も縮小と
なり、坂東家は多くの使用人を
解雇しました。
その解雇された使用人のなかに
小野明美の母、松がいました。
不満を漏らす明美にきみは
「まだまだがんばる」といいました。
明美は18歳、看護学校を出て
看護師になります。
しかし、あの、泥棒ぬれぎぬ事件で
深く傷ついていました。
泥棒をしたわけではないのに
泥棒と言われて
母は明美が悪いことをしたわけではないのに
「すんません」と謝るし
明美は坂東家に不満を感じていました。
そして通り過ぎるすみれをじっとみて
いました。
ゆりは五十八に大学を出たら
外国へ行って勉強してから
坂東営業部の仕事をすると
いっていましたが、戦争で外国へ行く
ことができなくなったいま、大学を
でて、父の会社へ就職すると
いいました。
五十八は今のご時世では
それよりも、普通に幸せな結婚を
して家庭に入って欲しいと
反対しました。
ゆりは、おこってぷいっと
出ていきました。
「私が女やからそういうのね」
といいながら。
すみれは多田良子や田崎君枝と
手芸部を作っていました。
こんな刺繍したいなとデザインを
考えても、材料を買うにも
配給制なのでなかなか新しい材料を
手に入れることができません。
あるもので何とかしましょうと
いう結論に至りました。
女学校では、英語の授業が
敵国語というのでなくなりました。
英語を学びたいと思っている
高西悦子は、大変憤慨していました。
其れに比べて、すみれは手芸部を
作っていたので、手芸部には
英語の授業廃止は
関係なくていいわねと
嫌味を言います。
君枝ははしたないと言いました。
小さい声だったので悦子は
え?なんとおっしゃいましたの?と
聞きました。
君枝は、英語廃止は国が決めたこと
です。勝つまでの辛抱です。
なのに、当り散らすなんてはしたないと
いったのです。と言い返しました。
すみれは、君枝の勇気に圧倒され
ました。高西は去って行きました。
まだこのころは国民は戦争に勝つと
信じていました。
でも、しだいに、戦争という大きな
ふこうに翻弄されるようになります。
すみれは神戸の街が見える
山に登って
潔と話をしました。
潔は、バイクに乗っている。
ガソリンは国に差し出さなければ
ならないのです。
潔は全部使ってしまおうと思うと
いいました。
何があったの?
あったといえばあった。
召集冷笑が来た。
すみれは、何も言えませんでした。
小さいとき
麻田の店に行こうとして
はぐれたときのことを
父に怒られて、麻田が靴を
納品できずに困っているとき
すみれは大声で自分が悪かった
だから、麻田さんの靴を買わないと
言わないでほしいといったことが
あります。
そのとき潔はこ嬢ちゃんは勇気があるな。
思っていることを言えるというのは
勇気がいることや。たいしたもんや。
そういって、すみれのあたまに手を
やって、撫でてくれた。
今の自分に勇気があるのだろうか。
すみれは、潔に思いを寄せる
淡い気持ちに気が付きました。
ところが、
ゆりも、潔が好きなようでした。
潔とゆりがいる部屋をのぞくと
ゆりが潔に相談があるといった
といいます。
何の相談かときくと
ゆりは、将来のこと・・・と
うれしそうにいったのです。
*******************
朝ドラふぁんとしたら
この時代は、苦しいと
どの作品もそうえがかれましたね。
杏さんのごちそうさんにも
花子とアンにも、
マッサンにも
そしてトト姉ちゃんにも・・・。
トト姉ちゃんはまだまだ記憶が
定かでありますので
たしか、花山がこう書いていたと
思いました。「その戦争は
昭和16年から20年まで・・
言語に絶する暮らしでした・・・」
森田屋さんでは、お弁当の材料が
なかなか手に入らなくて
そのうえ、お弁当を買うことも
贅沢と言われて
ついに、高崎へ行きます。
軍の工場があるのでここで
食堂をすればもうかるということ
で、いきましたね。
さまざまな暮らしが排除され
ました。
花山は戦後、普通の暮らしを大事にして
いたらあの戦争は起きなかったと
いいました。
そうです。
日常の何気ない暮らしこそが
平和の原点だと
思います。
其れこそが大事なものだと思います。
だから、敵は庶民の暮らしを
破壊しようと、空襲を
仕掛けてきました。
軍需工場を攻撃するのではなく
軍の基地を攻撃するのではなく
庶民の暮らしを破壊することで
戦意を喪失させることが
一番だと判断したのでしょう。
中東の戦争も多くは庶民の
暮らしを攻撃されています。
それは相手にとって大打撃と
なるということです。
だから、普通の暮らしを大事にしましょう
と私も思いました。
大橋靜子さんのエッセイは
小さな心配りにあふれています。
そうそう、町内会の
組長さんが(中川さんかな)
小橋家では庭に咲いていた
小さな花を活けていることを
批判しました。
小さな幸せを否定することは
生きるエネルギーを奪い取る
事に他ならないと思います。
すみれがモンペに
クローバーを刺繍しました。
小さな幸せを友だちたちは
共有したのです。
そしてどんどんお話は
戦争の不幸へと向かって行きます
が、すみれのいく先は
どうなるのでしょうか?
今週から始まった
べっぴんさんに、やっと気持ちを
合わせることができるようになり
ました。
