常子、大きな家を建てる6
たまきは就職試験の結果を
ドキドキしながら待っていた。
弟の水田潤14歳も
従妹の南真由美13歳も
その様子をはらはらしながら
みていた。
やがて郵便配達員が「郵便です」と
声をかけた。
たまきあての封書をたまきが
ひらくと
採用とあった。
たまきはホッとして喜んだ。
花山は試験の結果を常子に話した。
「あの、青椒肉絲の作り方の
記事も人の話を聞く力も才能を
感じさせる結果だった。
縁故採用ではない」といった。
常子は嬉しく思った。
昭和49年4月、いよいよたまきは
あなたの暮らし出版に入社した。
社内の活気は一段とアップして
新入社員も先輩社員も
まけじと働いていた。
花山は相変わらずいい加減な記事には
きびしく、新入社員だろうが
先輩社員だろうが
しかりつけていた。
そんな時、常子は、自分の記事の原稿を
かいて花山の部屋に入っていった。
するとベッドの上に横になっている。
びっくりして「失礼しました」と
いうと花山は「いいから」といって
原稿を受け取り読み始めた。
このところ花山は心筋梗塞の発作
をおこしてから
仕事の部屋にベッドを置いている。
「たったあれだけ怒鳴っただけで
気分が悪くなるとは・・・」と
愚痴った。
「今年は女性陣が優秀なので
楽しみだと」いう。
こうした女性の能力を眠らせて
いたら社会の損になると
いって、女性社員の
活躍に期待をした。
そういえば、と常子は
会社のルーツを思い出していた。
「私は女の人の役に立つ雑誌を作りたい
のです。」といった。
女の人の役に立つ雑誌とは、情報
だけではなく、それを作ろうする
女性の能力を引っ張り出すことができ
る雑誌になった。女性の社会進出を
促したことは大きな功績となった。
しかし・・・
そこへ大塚すみこが、常子に声を
かけた。
古くから働いている優秀な人材である。
彼女は会社を辞めたいという。
仕事が嫌なわけではない。
できれば続けたいが
小さな子供を育てながら
働いていると
自分だけ、早く帰ったり
遅く、会社に来たりして
みんなの迷惑になっているの
ではという。
そういいながらさっそく、幼稚園の
お迎えに行きますと言って
先に帰って行った。
その夜、お茶の間で
常子は
「どーしたもんじゃろのーーーーー」
と考えた。
お茶の間では家族が集まって
わいわい言っていた。
新人たまきは社員のみんなが素晴らしい
ので、ついていくのが大変だという。
しかし、これほどまでに女性の力を
買ってくれる会社はないといった。
友人たちが入った会社では
お茶くみとか
コピー取りとか
雑用ばかりで
何か失敗でもすると
女は駄目だとか
意見を言うと
女のくせにとか
差別されるという。
その点、あなたの暮らし出版は
男女差がなくて働くのに
励みになるという。
女性には働きやすい会社だと
いった。
水田正平は
大塚の退職の話は
大塚が核家族で
子育てが大変だから仕方がない
ことだという。
南美子は、真由美を育てながら
仕事を続けられたのは
鞠子が手伝ってくれたから
という。
また、学生だったたまきや
亡くなった君子も子育てと
仕事の両立に協力して
くれたこともあった。
大家族とはこういう便利で
頼もしいものである。
大塚も女性が働きやすい
会社だったといっていた。
翌日
常子は大塚のこともあって
花山に
女性が家庭と仕事を
両立できる社内環境に
変えたいと申し出た。
「具体的にはどうしたい?」
と花山がきくと
常子は、「次の会議で皆さんと
話し合いたい」といった。
花山は「自信がありそうだな」と
笑った。
常子も笑って花山の部屋を出た。
花山は、立ち上がろうとして
急に苦しみだした。
発作が起こった。
********************
子育てと仕事の両立は大変です。
ちかくに親でもいれば
いいのですが、
核家族の気楽さは
妻が専業主婦である
ことが
条件でしょう。
女性が
家庭をもって
社会で
活躍をするというと
それなりに
大変なことがあります。
妊娠中、つわりをおしながら
満員電車で通勤するのも
過酷なことですし・・
出産したら一年は子供のそばに
いてあげてほしいのですが
そうもいかないとなると
母乳育児をやめなければ
なりません。
そして、安心できる保育園を
さがさないといけません。
この時代、そこまでして
母親が働くということは
ありえないので
よほどお金に困っているのか
よほど、外へ出ていくのが好きなの
かと
思われます。
大塚の退職は
おおげさではなく
幼稚園に送り出した後
熱を出しているのでお迎えを
頼みますと
幼稚園から連絡が来ることもあり
ます。
これでは仕事になりません。
また、子供はよく風邪をひいたり
おなかを壊したり
感染症にかかったりと
母親の手を
煩わせます・・
と、ここまで書いて、ふと
おもいだしたのが
星野君です。
イクめんです。
彼も、会社に必死で
かよい、子供が帰って
来る時間にはお手伝いさんが
来るようになっていました。
もちろんそうでなければ
星野は仕事ができません。
それが、子供にも負担を
かけているのではと
思って両親をあてにできる
名古屋支店の転勤願いを
だしたのですね。
でも、常子とであって
このままいくと・・・・・
結婚か???
となりましたが、
大樹のやけどの話と
いじめの話から
これ以上、子供につらい
思いをさせたくないと思って
名古屋支店の転勤の話
を受け入れました。
時間を作って子供の話を
じっくり聞く親になりたいと
思ったのでしょう。
仕事も大事ですが
子育ても大事で
親子の絆を作るのは
こうした努力の積み重ね
だろうと思います。
こうして常子のもとを
子供ためにといって
去って行く人が
二人いたことで
常子は深く両立の話を
考えたことと
思います。
結論はいかに???
楽しみです。
******************
私のことですが
私は専業主婦です。
でも、いつでも働ける環境でした。
主人の両親と同居していた
からです。
爺婆抜きといいますが
じいさんばあさんも
いてくれたら
ありがたいものです。
え?介護はどうしたって?
おじいさんは
病気で亡くなり
おばあさんは
気が強いので
まだ独りで頑張っています。
其れも楽しいそうです。
子供たちは成人しましたので
一緒に暮らしても
特にどうということもありませんが
まだ、大丈夫だからと
のことです。
わたしだったら
寂しかもしれません。
核家族がいいのか
大家族がいいのか
それは
考え次第です。
たまきは就職試験の結果を
ドキドキしながら待っていた。
弟の水田潤14歳も
従妹の南真由美13歳も
その様子をはらはらしながら
みていた。
やがて郵便配達員が「郵便です」と
声をかけた。
たまきあての封書をたまきが
ひらくと
採用とあった。
たまきはホッとして喜んだ。
花山は試験の結果を常子に話した。
「あの、青椒肉絲の作り方の
記事も人の話を聞く力も才能を
感じさせる結果だった。
縁故採用ではない」といった。
常子は嬉しく思った。
昭和49年4月、いよいよたまきは
あなたの暮らし出版に入社した。
社内の活気は一段とアップして
新入社員も先輩社員も
まけじと働いていた。
花山は相変わらずいい加減な記事には
きびしく、新入社員だろうが
先輩社員だろうが
しかりつけていた。
そんな時、常子は、自分の記事の原稿を
かいて花山の部屋に入っていった。
するとベッドの上に横になっている。
びっくりして「失礼しました」と
いうと花山は「いいから」といって
原稿を受け取り読み始めた。
このところ花山は心筋梗塞の発作
をおこしてから
仕事の部屋にベッドを置いている。
「たったあれだけ怒鳴っただけで
気分が悪くなるとは・・・」と
愚痴った。
「今年は女性陣が優秀なので
楽しみだと」いう。
こうした女性の能力を眠らせて
いたら社会の損になると
いって、女性社員の
活躍に期待をした。
そういえば、と常子は
会社のルーツを思い出していた。
「私は女の人の役に立つ雑誌を作りたい
のです。」といった。
女の人の役に立つ雑誌とは、情報
だけではなく、それを作ろうする
女性の能力を引っ張り出すことができ
る雑誌になった。女性の社会進出を
促したことは大きな功績となった。
しかし・・・
そこへ大塚すみこが、常子に声を
かけた。
古くから働いている優秀な人材である。
彼女は会社を辞めたいという。
仕事が嫌なわけではない。
できれば続けたいが
小さな子供を育てながら
働いていると
自分だけ、早く帰ったり
遅く、会社に来たりして
みんなの迷惑になっているの
ではという。
そういいながらさっそく、幼稚園の
お迎えに行きますと言って
先に帰って行った。
その夜、お茶の間で
常子は
「どーしたもんじゃろのーーーーー」
と考えた。
お茶の間では家族が集まって
わいわい言っていた。
新人たまきは社員のみんなが素晴らしい
ので、ついていくのが大変だという。
しかし、これほどまでに女性の力を
買ってくれる会社はないといった。
友人たちが入った会社では
お茶くみとか
コピー取りとか
雑用ばかりで
何か失敗でもすると
女は駄目だとか
意見を言うと
女のくせにとか
差別されるという。
その点、あなたの暮らし出版は
男女差がなくて働くのに
励みになるという。
女性には働きやすい会社だと
いった。
水田正平は
大塚の退職の話は
大塚が核家族で
子育てが大変だから仕方がない
ことだという。
南美子は、真由美を育てながら
仕事を続けられたのは
鞠子が手伝ってくれたから
という。
また、学生だったたまきや
亡くなった君子も子育てと
仕事の両立に協力して
くれたこともあった。
大家族とはこういう便利で
頼もしいものである。
大塚も女性が働きやすい
会社だったといっていた。
翌日
常子は大塚のこともあって
花山に
女性が家庭と仕事を
両立できる社内環境に
変えたいと申し出た。
「具体的にはどうしたい?」
と花山がきくと
常子は、「次の会議で皆さんと
話し合いたい」といった。
花山は「自信がありそうだな」と
笑った。
常子も笑って花山の部屋を出た。
花山は、立ち上がろうとして
急に苦しみだした。
発作が起こった。
********************
子育てと仕事の両立は大変です。
ちかくに親でもいれば
いいのですが、
核家族の気楽さは
妻が専業主婦である
ことが
条件でしょう。
女性が
家庭をもって
社会で
活躍をするというと
それなりに
大変なことがあります。
妊娠中、つわりをおしながら
満員電車で通勤するのも
過酷なことですし・・
出産したら一年は子供のそばに
いてあげてほしいのですが
そうもいかないとなると
母乳育児をやめなければ
なりません。
そして、安心できる保育園を
さがさないといけません。
この時代、そこまでして
母親が働くということは
ありえないので
よほどお金に困っているのか
よほど、外へ出ていくのが好きなの
かと
思われます。
大塚の退職は
おおげさではなく
幼稚園に送り出した後
熱を出しているのでお迎えを
頼みますと
幼稚園から連絡が来ることもあり
ます。
これでは仕事になりません。
また、子供はよく風邪をひいたり
おなかを壊したり
感染症にかかったりと
母親の手を
煩わせます・・
と、ここまで書いて、ふと
おもいだしたのが
星野君です。
イクめんです。
彼も、会社に必死で
かよい、子供が帰って
来る時間にはお手伝いさんが
来るようになっていました。
もちろんそうでなければ
星野は仕事ができません。
それが、子供にも負担を
かけているのではと
思って両親をあてにできる
名古屋支店の転勤願いを
だしたのですね。
でも、常子とであって
このままいくと・・・・・
結婚か???
となりましたが、
大樹のやけどの話と
いじめの話から
これ以上、子供につらい
思いをさせたくないと思って
名古屋支店の転勤の話
を受け入れました。
時間を作って子供の話を
じっくり聞く親になりたいと
思ったのでしょう。
仕事も大事ですが
子育ても大事で
親子の絆を作るのは
こうした努力の積み重ね
だろうと思います。
こうして常子のもとを
子供ためにといって
去って行く人が
二人いたことで
常子は深く両立の話を
考えたことと
思います。
結論はいかに???
楽しみです。
******************
私のことですが
私は専業主婦です。
でも、いつでも働ける環境でした。
主人の両親と同居していた
からです。
爺婆抜きといいますが
じいさんばあさんも
いてくれたら
ありがたいものです。
え?介護はどうしたって?
おじいさんは
病気で亡くなり
おばあさんは
気が強いので
まだ独りで頑張っています。
其れも楽しいそうです。
子供たちは成人しましたので
一緒に暮らしても
特にどうということもありませんが
まだ、大丈夫だからと
のことです。
わたしだったら
寂しかもしれません。
核家族がいいのか
大家族がいいのか
それは
考え次第です。
