常子、花山の過去を知る6
二号はあっという間に売れた。
大好評だった。
つぎも花山の力を借りたいというが
彼は、ここまでだと言って
帰っていった。
常子は、玄関の外まで花山を見送った。
一つ忠告する。
今のままではすぎに真似をされる。
まねをされるような雑誌は作るな。
こんなご時世だからこそ伝えなくては
いけないものがある。
しかし、作れんよ、そんな金のかかる雑誌
・・・・
では・・・
そういって花山は帰って行った。
そして、友人の長沢に仕事に参加できるからと
連絡をした。
しかし、花山の背広とネクタイは
食料に代わっていて、相変わらずの
国民服で仕事に参加することになった。
常子は家で団子を作りながら
花山の言葉を考えていた。
こんな時代だからこそ伝えなくては
ならないものがある。
だが、そんな金のかかる雑誌は作れない・・
常子ははっとした・・・ある考えが
ひらめいた。
翌日、花山は焼け出されたバラックの並ぶ
街並みを長沢たちを歩いていた。
この辺にビルを建てるという。
この人たちはどうなるのだと
聞くと勝手に住み着いている
のだから、文句は言えないだろうと
いった。
貧しくても大変な暮らしでも
ここで生きている人たちを
追い出そうとしているのをしった。
そこへ一人の
貧しい男が花山にたばこをくれと
いった。
花山はたばこは吸わないのでもって
いないと断った。
その男は「戦争はどうなった」と聞く。
「日本はかったのか負けたのか」と聞く。
花山は「何をいっているのですか。
戦争は終わったのですよ。負けたの
ですよ」というと
その男はいきなり花山にくらいついて
きた。
「嘘をつくな
日本は神国だ。
神風が吹くんだ。
負けるはずがない」という。
別の男がやってきて
その男を花山から離れさせた。
男は「万歳」を叫ぶ。
叫びながら男は泣いた。
「すまない、あの男は戦地でたくさんの
死ぬ人を見て、帰って来たら妻も
子供もなくなっていたのだ」という。
花山はがれきの中で壊れたフライパンを
見つけた。
それをまじまじと見ていたら
常子が花山を探してやって
きた。
「奥さんにこちらだと聞いたので」という。
そして「だれにもまねされない雑誌とは」
といった。
「衣食住に関しての特集を組み
毎号実験をして
あたらしい暮らしの知恵を届けたい」と
いった。
「ああ、金がかかる。できるわけがない」と
花山いう。
「できます。私とならできます。
根拠はありません。私が花山さんと
やってみたいと
思ったからできます」といった。
「何よりも優先して守るべきものが
今まで間違っていたと気づいたのなら
もう間違えないようにしませんか?」
すると
「私は戦争中男には毎日の暮らしよりも大事な
物があると思い込んでいた。
思い込まされていた。
毎日も暮らしを犠牲にしても守るべき
ものなどない。
毎日の暮らしが何物にも優先すべき
守るべきものだからだ。
もし豊かな暮らしをとりもどす
きっかけを作る雑誌を作れるなら」
花山がそういうと
常子は
「私となら作れます。
はじめましょう。
新しい雑誌作りを。」
花山は壊れたフライパンを見た。
そしてしばらくして
立ち上がり
「あの二人は何をしている」と聞いた。
「鞠子と美子ですか?
今は家で・・・」というと
花山は「ばかもの」といった。
「一瞬たりとも遊ばせておくものではない。
いつも雑誌のことばかり考えさせろ。
明日から思いやられる」と
いった。
「君らのためにペンを執る。
女性の言葉を信じて見たく
なった。」
常子は
「でしたら・・・」
と言葉をつづけた。
「私も人生をかけます。
新しい雑誌を作ります。」
花山は笑って「わかった」といった。
「よろしくな、常子さん。
君は社長だ。」
「はい、よろしくお願いします。
花山さん・・・。」
こうして常子と花山の
人々の暮らしを豊かにする
ための雑誌つくりが始まったのです。
**********************
ついに花山と一緒に雑誌を作ることに
なるですね。
あの伝説のというか
いまも存在ますが
暮らしの手帳です。
でも創業時はこんなにも大変な
時代だったのですね。
わたしは暮らしの手帖の
あのイラストが好きです。
活字を読むよりもあのイラスト
が素敵だと思います。
視覚に訴えるというのは
いまや、ITの分野でも
大事なことで
イラストや、画像がふんだんに
使われる時代になりました。
カメラというものは
大変高価なものでしたが
デジタル化で
安く手に入り
気軽に撮影できるものとなりました。
いよいよ
暮らしの手帖が
誕生します。
二号はあっという間に売れた。
大好評だった。
つぎも花山の力を借りたいというが
彼は、ここまでだと言って
帰っていった。
常子は、玄関の外まで花山を見送った。
一つ忠告する。
今のままではすぎに真似をされる。
まねをされるような雑誌は作るな。
こんなご時世だからこそ伝えなくては
いけないものがある。
しかし、作れんよ、そんな金のかかる雑誌
・・・・
では・・・
そういって花山は帰って行った。
そして、友人の長沢に仕事に参加できるからと
連絡をした。
しかし、花山の背広とネクタイは
食料に代わっていて、相変わらずの
国民服で仕事に参加することになった。
常子は家で団子を作りながら
花山の言葉を考えていた。
こんな時代だからこそ伝えなくては
ならないものがある。
だが、そんな金のかかる雑誌は作れない・・
常子ははっとした・・・ある考えが
ひらめいた。
翌日、花山は焼け出されたバラックの並ぶ
街並みを長沢たちを歩いていた。
この辺にビルを建てるという。
この人たちはどうなるのだと
聞くと勝手に住み着いている
のだから、文句は言えないだろうと
いった。
貧しくても大変な暮らしでも
ここで生きている人たちを
追い出そうとしているのをしった。
そこへ一人の
貧しい男が花山にたばこをくれと
いった。
花山はたばこは吸わないのでもって
いないと断った。
その男は「戦争はどうなった」と聞く。
「日本はかったのか負けたのか」と聞く。
花山は「何をいっているのですか。
戦争は終わったのですよ。負けたの
ですよ」というと
その男はいきなり花山にくらいついて
きた。
「嘘をつくな
日本は神国だ。
神風が吹くんだ。
負けるはずがない」という。
別の男がやってきて
その男を花山から離れさせた。
男は「万歳」を叫ぶ。
叫びながら男は泣いた。
「すまない、あの男は戦地でたくさんの
死ぬ人を見て、帰って来たら妻も
子供もなくなっていたのだ」という。
花山はがれきの中で壊れたフライパンを
見つけた。
それをまじまじと見ていたら
常子が花山を探してやって
きた。
「奥さんにこちらだと聞いたので」という。
そして「だれにもまねされない雑誌とは」
といった。
「衣食住に関しての特集を組み
毎号実験をして
あたらしい暮らしの知恵を届けたい」と
いった。
「ああ、金がかかる。できるわけがない」と
花山いう。
「できます。私とならできます。
根拠はありません。私が花山さんと
やってみたいと
思ったからできます」といった。
「何よりも優先して守るべきものが
今まで間違っていたと気づいたのなら
もう間違えないようにしませんか?」
すると
「私は戦争中男には毎日の暮らしよりも大事な
物があると思い込んでいた。
思い込まされていた。
毎日も暮らしを犠牲にしても守るべき
ものなどない。
毎日の暮らしが何物にも優先すべき
守るべきものだからだ。
もし豊かな暮らしをとりもどす
きっかけを作る雑誌を作れるなら」
花山がそういうと
常子は
「私となら作れます。
はじめましょう。
新しい雑誌作りを。」
花山は壊れたフライパンを見た。
そしてしばらくして
立ち上がり
「あの二人は何をしている」と聞いた。
「鞠子と美子ですか?
今は家で・・・」というと
花山は「ばかもの」といった。
「一瞬たりとも遊ばせておくものではない。
いつも雑誌のことばかり考えさせろ。
明日から思いやられる」と
いった。
「君らのためにペンを執る。
女性の言葉を信じて見たく
なった。」
常子は
「でしたら・・・」
と言葉をつづけた。
「私も人生をかけます。
新しい雑誌を作ります。」
花山は笑って「わかった」といった。
「よろしくな、常子さん。
君は社長だ。」
「はい、よろしくお願いします。
花山さん・・・。」
こうして常子と花山の
人々の暮らしを豊かにする
ための雑誌つくりが始まったのです。
**********************
ついに花山と一緒に雑誌を作ることに
なるですね。
あの伝説のというか
いまも存在ますが
暮らしの手帳です。
でも創業時はこんなにも大変な
時代だったのですね。
わたしは暮らしの手帖の
あのイラストが好きです。
活字を読むよりもあのイラスト
が素敵だと思います。
視覚に訴えるというのは
いまや、ITの分野でも
大事なことで
イラストや、画像がふんだんに
使われる時代になりました。
カメラというものは
大変高価なものでしたが
デジタル化で
安く手に入り
気軽に撮影できるものとなりました。
いよいよ
暮らしの手帖が
誕生します。
