常子、防空演習にいそしむ1
昭和19年10月
戦争は悪化の一途をだどった。
生活も苦しく
日々の配給もあるかないかである。
あまりのひもじさを解消するため
千葉の農家へ食料をもらいに
いくことにした。
着物も万年筆もいらない
みんなが持ってくるので
足りているからという。

別の農家へ行くと
あっちこっちから
着物や帯などをもってきて物々交換
で食料を調達する人がおおくて
着物や帯はうなるほどあるのでほしくないと
いう。

次の農家へ行った。

ふと庭先でその家の幼い少女が
ハマグリの貝で
おままごとをしていた。


その農家の主人は着物などいらない。
もっと値打ちのある
物をもってきてほしいという。
値打ちのあるものとはなにかと
常子は考えた。

「孫の喜ぶおもちゃなどどうかな」と
主人は言う。
ふと鞠子は
美子がもっている滝子からもらって
大事にしているままごとセットを
おもいだした。
あれは、しかし・・・

庭先で雑草が食べられるかどうかと
君子と美子は話をしていた。
ちょっと食べてみようと
美子が口にすると
にがくて、美子はびっくりした。
二人は大笑いをする。
そこへ組長が笑い声は不謹慎だと
いって怒鳴り込んできた。

常子たちが帰ってきて
おもちゃと食料の
交換の話をした。
美子が手放すかどうか???
美子はいやがり、自分の食べるものを
減らしても手放さないという。
これは滝子からもらった大事なものだと
美子はこれだけは勘弁してという。

甲東出版は五反田を残して
男性社員はみんな兵隊にとらえてしまった。
雑誌の内容も戦争高揚が目的のものばかり
なので面白いものではない。
その上薄くなってしまった。
二人で作る雑誌なので内容も少ない。
谷は「必ず生きて戻るから
甲東出版をよろしく頼む」と
いって兵隊へ行った。

五反田もいつ召集されるかと
いう。そんなふうに常子は
なんとか毎日を守りつづけていた。
鞠子も工場での仕事も
毎日続けられ、美子は縫製工場へ
いき、日々軍服をつくって
いた。
お弁当はお芋のふかした
ものがおおい。
家族の兄や父が
徴兵された話を聞く。
美子の家は女性ばかりなのでと
いうと
その心配がないのでいいねという。

婦人会での話を君子は聞いた。
三宅組長はなぜああも厳しいのかと
いうと息子さんが徴兵されて
自分も国を守っている気分で
いるのではという話だった。

その夜美子は寝たふりをしていた。

「雑誌を見たよ」と鞠子は常子に言う。
常子は「うすっぺらいし、せんそうのはなしばかり
だし・・・」
と不満をいった。

君子は「お仕事があるだけでもいいのでは」
という。

そこに誰かが来た。

三宅組長が明かりが漏れていると
いう。
敵機に目標にされるから
しっかりカーテンを閉めるようにと
言われた。

組長って
こんな時間まで見回りをしているなんて
と、常子たちはびっくりした。
美子はふと起き上がった。

考えたことがあるという。
「なに?」
常子は聞いた。

「あのままごとを食べ物と変えて
下さい

みんな我慢したり苦しんだりしている
のに、うちは家族を兵隊にとれることなく
こうして幸せにしている。
これくらい、我慢しなければね」という。
大切にしてきたものまで
手放さないといけないとは・・・
常子は悲しくなった。
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食料がたりない。
食べ物がない・・・
これは生命の危機です。
生きるためにはどうすればいいのか
人は本能で考えます。
もしかしら、この雑草は食べられるかも
しれないなどと。
知恵を働かせます。
しかし、本来衣食住を基本として
最低の文化的生活を保障されるものだと
いうことを
今の私たちは当然のように思って
いますが、そのころは
お国のためという理由でがまんばかり
でした。
大変な時代でした。
二度とこんな時代がくることの
ないように、しっかり政治を
監視しましょう!