「トト姉ちゃん」
ー常子、父と約束をするー

昭和5年静岡浜松。
小橋家は遠州にあり
染物が産業の町にあった。
父の小橋竹蔵をトトとよび
母の君子をカカと呼んだ。
長女は常子10歳、次女は鞠子
三女は美子だった。

小橋家には家訓があった。
朝ごはんはみんなで食べること。
月に一度はお出かけをすること
自分の服は自分でたたむこと

家訓はしっかりと守られ
ていたが、

あるひ、どうしても
守れないことなった。
竹蔵の大事な取引先の社長が
引っ越しをするのでその手伝いが
みんなが楽しみにしている
日曜日となった。
ひたすらあやまる竹蔵だった。
その社長がピカッソという画家
の絵だと言ってそれをくれた。
みると落書きのようである。
大事なお出かけをつぶして
くれたものがこんなもの?
がっかりする美子は
自分のほうがもっと上手だと
その上から墨で書き込む。
それを見た鞠子が
とんでもないことだと
いったが、すでに遅し。

その絵はめちゃくちゃになった。
ところが社長が酔っていたので
覚えていないらしく
あの絵を返してほしいという。

丁度遊び人の竹蔵の弟で叔父の
鉄郎がきてこれは大したものはない
という。
竹蔵はそれはピカッソだというと
あわててこれはすごく値打ちがある。
千円はするといった。

竹蔵はこうなったからにはといって
社長に謝りに行く。

そして一生かけても弁償しますというが。
その謝る父の姿を見て
美子たちは反省した。

ところが社長はこれはたいしたもの
ではないといった。
そしてその絵は娘たちの手がはいって
いるので竹蔵がいただくことに
した。少しのお金を払って・・

それは竹蔵にとってかけがえの
ないものだったからだ。
昔、竹蔵たちは両親を早くになくし
親戚の家を転々とした。
どこへいっても
家の長であるお父さんは威張って
いる。何でも自分が決めて家族の
意見も聞かない。
そんな体験から竹蔵は
自分をトトといい母をカカと
呼び、娘たちを大事にした。

けして自分の意見を押し付ける
などはしなかった。
娘たちはすくすくと育った。
竹蔵は結核にかかり
楽しみにしていたお花見にもいけなく
なった。
それが大きく心に残った。

三人の娘たちは
考えて、花見の季節ではないのだが
きれいな紙で桜を作り
木の枝を飾った。

その桜の木をみて竹蔵は大変
喜んだ。

常子はトトの喜ぶ顔がうれしかった。

そのよる、トイレに立った常子を
竹蔵が部屋の中から呼んだ。
自分はもう長くないので
亡くなった後
家族を頼むと常子は
言われた。
常子は泣きながら、父との約束を
受け入れた。

そして、父はなくなった。

君子も鞠子も美子も悲しくて
呆然としていた。
はりきっているのは常子だけだった。
父の葬式も常子がてきぱきと仕切った。
そんな常子を鞠子は
悲しく思わないの?
泣くことないの?
お姉ちゃんは冷たい人なのね

と非難した。

でも常子も悲しい。
悲しいけど
竹蔵との約束で家族をトトのかわり
に守ると約束したのだ。
泣くわけにはいかないが
常子は
はじめて
君子の前で泣いた。

私だって悲しい・・・

それを鞠子と美子は見ていた。

常子に謝る鞠子と美子。
そして、トトの代わりに家族を
守るといった常子を
トト姉ちゃんと
呼ぶことになった。
やがて

常子は
中学生となった。

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はい、一週間をまとめました。
「あさが来た」が
驚異的人気の視聴率を
出したといいます。
が、トト姉ちゃんも評判が良くて
丁寧にゆったりとすすむお話と
あたたかい家族の心遣いが
共感を呼んでいるのでしょうか。
両親に対しての
言葉遣いの丁寧さが
いいらしいです。

おはようございます。
いただきます。
とてもおいしいです。
いってまいります。
ただいま帰りました。

と、この歯切れの良さ
見ていて爽やかです。

飛んでみよう~~
飛んで行け~~

から、
♪普段から化粧しないキミが

という

宇多田ひかるの
歌が出てくるようになりました。
毎日というのは
とても
影響のある
ものですね。

新次郎さんがなくなって
かなしいというものでもなく
あさが終わって寂しいという
ものでもなく
粛々とすすむ朝ドラに
びっくりぽんだす。

この三姉妹は
暮らしの手帳という雑誌を
創刊したといいますが
暮らしという場面を大事に
しているのは
こうした父と母がいて
こそだと思いました。

また私にはこのころの時代が
興味深くて
少しは面影を覚えて
いるのですね。

あ、わたしは
昭和の戦後生まれです~~。

あのガラスの窓や
玄関の雰囲気など
古い写真で見たことが
あります。
なぜか

懐かしいです。