誇り高き人生3
こうして生命保険会社の
合併がきまり
めでたく契約の日となった。
東京の保険会社と
福岡の保険会社が
加野屋の保険会社と
合併となってより大きな
力を持つことになった。
経済の危機の中で行われた
ことだった。
あえて攻撃に出たあさだった。
こんご加野屋の中心の経済は
この保険会社となっていく。
その夜座敷で
新しい会社の名前を考えている
あさにうめがお茶をもってくる。
あまりにもあさがよく動くので
大丈夫かと心配する。
が、あさは「こまもまわっている間
は倒れない」という。
それよりも新次郎の様子は
おかしいと思わないかと
うめに聞くが
うめは千代の婚礼のことで
うれしそうにはりきっていると
しか映らない。
あさは、自分の様なものが
女の感やなんてあるはずはない
だろうといった。
そのご、新しい会社は
淀川生命保険会社と
いう名前となり政府の
許可を得て
営業となった。
初代の社長は
栄三郎
取締役は平十郎。
あさは、
創立の功労で特待役員として
相談役となった。
新次郎は栄三郎についでの二番目
の株主となった。
淀川生命の資本金は30万円。
加野屋では最大の規模となった。
「なにかけったいや」と
弥七が言う。
美和の店でのことだった。
平十郎と美和が仲が
よすぎるのでけったいだと
弥七がいう。
どうやら、平十郎は
実母と息子をここに連れてきた
らしい。
平十郎と弥七は出ていった。
大阪駅も近代的になり
淀川生命の会社も
近代的なビルになった。
「はぁもったいない」と
客の外人が言った。
加野屋では
亀助とうめが話をして
いた。
亀助は役員待遇となり
使者の社員などは
誰が誰やらわからない。
昔みんなで食事をして
だれがどんな漬物が好き
かなどと
知っていた頃が
懐かしいという。
美和の店でもったいないと
いったのはボリンガーという
建築士でアメリカ人だった。
彼が言うには日本は鎖国で
海外からの影響をうけて
いなかった。
ところがここ三十年で大きく
変わった。
それは西洋の物まねだという。
「もうワンダーランドは消えて
しまった・・・」
「それは日本を守るために
西洋の文化を取り入れる必要が
あったからだ」と
あさはいう。
「それは新政府のおかげです。
それがいいのか悪いのか
それでも、日本を守ってきた
のですよ。」
「なるほど・・・」と彼が言う。
「もうそろそろ
日本の夜明けも終わりだすな・・・
もう朝ではなく
これからはどうなるか?
それが問題だ」と
いうと新次郎は「そういう話は
おさけでも飲みながら」
というので美和は
ビールを持ってきた。
そのよる
新次郎は
ねているあさの顔を
じっとみていた。
それから数日後のこと
新次郎は
ぶらりと
和歌山を訪れた。
大阪が変わって行くので
日本の原風景を見たいと思い
やってきたという。
養の助には子供ができ
はつたちには初孫となった。
みかんの作り方など
新次郎は
養の助から聞いた。
新次郎は
喜んで話を聞く
惣兵衛は
それがうれしくて
田舎が嫌いな新次郎が来たことが
うれしくて、お酒が
すすむ。
イノシシと格闘した
話しなどを酔っぱらうと
してしまう。
その話は飽きたと養の助も
はつもいうが・・・
惣兵衛は嬉しそうにイノシシの
倒し方を話す。
新次郎もうれしそうに
話を聞く。
そして、笑っう。
それは夜更けまで続いた。
夏の終わりのことだった・・・。
*******************
日本を守ること。
それが近代化だったのです。
急激に近代化をはかると
ひずみもあります。
あさが経験したご一新後の
加野屋の騒動も
山王寺屋の倒産も
そのうちのひとつ。
歴史の一つとなります。
そこから何を学ぶかが
問題で、自分たちの都合のいい
歴史の解釈とか
保存とかは
自分たちのこれからの国にとって
いいことではありません。
なにがよくて
何が悪かったかは
半世紀ぐらいたたないと
わからないことが多いです。
女子大学校の
設立もそうです。
女性に高等教育を
といっても庶民には
必要のないことだった
わけです。
子供が大きくなって
働き手となって
家のために
多くは農業でしたから
労働力として
働いてもらいたいし
嫁にだして
そこでまた、働らく
のが人生だと
いう価値観。
これに少し変化をつける
のが
女子の高等教育だった
と思います。
少しの変化が
受け手の意識の中で
大きく変化していくこと
になったりしますから。
そう思います。
こうして生命保険会社の
合併がきまり
めでたく契約の日となった。
東京の保険会社と
福岡の保険会社が
加野屋の保険会社と
合併となってより大きな
力を持つことになった。
経済の危機の中で行われた
ことだった。
あえて攻撃に出たあさだった。
こんご加野屋の中心の経済は
この保険会社となっていく。
その夜座敷で
新しい会社の名前を考えている
あさにうめがお茶をもってくる。
あまりにもあさがよく動くので
大丈夫かと心配する。
が、あさは「こまもまわっている間
は倒れない」という。
それよりも新次郎の様子は
おかしいと思わないかと
うめに聞くが
うめは千代の婚礼のことで
うれしそうにはりきっていると
しか映らない。
あさは、自分の様なものが
女の感やなんてあるはずはない
だろうといった。
そのご、新しい会社は
淀川生命保険会社と
いう名前となり政府の
許可を得て
営業となった。
初代の社長は
栄三郎
取締役は平十郎。
あさは、
創立の功労で特待役員として
相談役となった。
新次郎は栄三郎についでの二番目
の株主となった。
淀川生命の資本金は30万円。
加野屋では最大の規模となった。
「なにかけったいや」と
弥七が言う。
美和の店でのことだった。
平十郎と美和が仲が
よすぎるのでけったいだと
弥七がいう。
どうやら、平十郎は
実母と息子をここに連れてきた
らしい。
平十郎と弥七は出ていった。
大阪駅も近代的になり
淀川生命の会社も
近代的なビルになった。
「はぁもったいない」と
客の外人が言った。
加野屋では
亀助とうめが話をして
いた。
亀助は役員待遇となり
使者の社員などは
誰が誰やらわからない。
昔みんなで食事をして
だれがどんな漬物が好き
かなどと
知っていた頃が
懐かしいという。
美和の店でもったいないと
いったのはボリンガーという
建築士でアメリカ人だった。
彼が言うには日本は鎖国で
海外からの影響をうけて
いなかった。
ところがここ三十年で大きく
変わった。
それは西洋の物まねだという。
「もうワンダーランドは消えて
しまった・・・」
「それは日本を守るために
西洋の文化を取り入れる必要が
あったからだ」と
あさはいう。
「それは新政府のおかげです。
それがいいのか悪いのか
それでも、日本を守ってきた
のですよ。」
「なるほど・・・」と彼が言う。
「もうそろそろ
日本の夜明けも終わりだすな・・・
もう朝ではなく
これからはどうなるか?
それが問題だ」と
いうと新次郎は「そういう話は
おさけでも飲みながら」
というので美和は
ビールを持ってきた。
そのよる
新次郎は
ねているあさの顔を
じっとみていた。
それから数日後のこと
新次郎は
ぶらりと
和歌山を訪れた。
大阪が変わって行くので
日本の原風景を見たいと思い
やってきたという。
養の助には子供ができ
はつたちには初孫となった。
みかんの作り方など
新次郎は
養の助から聞いた。
新次郎は
喜んで話を聞く
惣兵衛は
それがうれしくて
田舎が嫌いな新次郎が来たことが
うれしくて、お酒が
すすむ。
イノシシと格闘した
話しなどを酔っぱらうと
してしまう。
その話は飽きたと養の助も
はつもいうが・・・
惣兵衛は嬉しそうにイノシシの
倒し方を話す。
新次郎もうれしそうに
話を聞く。
そして、笑っう。
それは夜更けまで続いた。
夏の終わりのことだった・・・。
*******************
日本を守ること。
それが近代化だったのです。
急激に近代化をはかると
ひずみもあります。
あさが経験したご一新後の
加野屋の騒動も
山王寺屋の倒産も
そのうちのひとつ。
歴史の一つとなります。
そこから何を学ぶかが
問題で、自分たちの都合のいい
歴史の解釈とか
保存とかは
自分たちのこれからの国にとって
いいことではありません。
なにがよくて
何が悪かったかは
半世紀ぐらいたたないと
わからないことが多いです。
女子大学校の
設立もそうです。
女性に高等教育を
といっても庶民には
必要のないことだった
わけです。
子供が大きくなって
働き手となって
家のために
多くは農業でしたから
労働力として
働いてもらいたいし
嫁にだして
そこでまた、働らく
のが人生だと
いう価値観。
これに少し変化をつける
のが
女子の高等教育だった
と思います。
少しの変化が
受け手の意識の中で
大きく変化していくこと
になったりしますから。
そう思います。
