おばあちゃんの大仕事6
あさは優良事業に育て
あげた炭鉱を手放すことにな
った。
よのがなくなりかのは
親戚に身を寄せることになった。
おなごしたちや亀助
クマ、うめがさっていくかのを
見送った。
寂しそうだったが
うめが、「こんをつめないように。
お互いわかくないから」と
いうと
振り返りにこっと笑って
「ほんにほんに」といった。

和歌山では
養の助が帰ってきた。
はつは待っていたが
帰るという手紙もなかったからと
いった。
養の助は
「手紙を書くより走ったほうがはやい」
と言って笑った。

女子大学校の内容を成沢たちが
検討していた。
英文や国文
などの授業の内容を決めていた。

一方、啓介は新次郎とあさに
大学院を出てから
結婚したいという。

あさは
その間、どう、仕事にかかわって
いくかとか
すむところとか
きめなくてはというと
千代が自分たちが決めるという。
あさと千代はここで最早
対立する。

成沢の授業内容に宣が質問した。
女子大学校設立の事務局では
宣が成沢に聞いた。

「先生、英文国文はわかります。
そやけど家政学も高等教育に入って
いるのはなぜですか?
家政学があるせいで
女子大学校やというても
所詮良妻賢母主義か
たいしたことないなと
反対派がいうています」という。

家政学への偏見である。
成沢は
新しい社会の核となるのは
家庭だという。
そのために、高度な家政学に
理論づけられた
家庭をきずくことが
これからの日本を支えること
になるということだった。
宣は、納得した。

一方
宣の母はあさに
娘に高等教育は必要ないと
いいきる。

しかしこれからの女子教育で
女性の力を発揮していくこと
によって
学びたいおなごの代表を
つくって
道を作りたいと
あさは主張した。


「えらいことや!!!!」

そこへ亀助が女子大学校の募集
に200人もきたという。

「学びたいという女子がこれほど
多いのか」と
あさは感動した。

宣は母に、学ばせてほしいと
いった。
「こんなめったにない機会をのがして
は、20世紀の女性になるかい
もないです」という。
母はこまった。

「そんな大げさなことを・・

そやけど
しょうがあれへんみたいやな!」

承諾を得ることができた。

そして
日の出女子大学校は
創立の日を迎えることが
できた。

「おめでとうございます。」
あさが成沢に言った。

「白岡さんのおかげです。」

そういうとあさは
「校長なのですからもう少し
きれいなお洋服を」というと
「これがいいのです」といって
「シェークハンド
握手を」
といって
あさに手を差し出した。

大学には
全国から
また、年齢も立場も
さまざまな女性があつまった。
第一回入学式の日。
綾子も新次郎も
はれの日に参加した。
祝辞をあさがのべるために
演壇に立った。

「え・・・
みなさま

このたびは

わが国初の女子の大学校
日の出女子大学校に
ご入学おめでとうございます。

学問は特別なものではありません

みんなが
笑って暮らせるには

女性の・・ね

柔らかい心が大切なのです
。。。」


和歌山では藍の助が
大阪に戻ることになった。

あのボルドー液はすごいと評判に
なり藍の助は
みかんの販路も開いてくれた。

女子大学校ではさっそく
英語に格闘する
女子学生がいた。
宣はその中でもリーダー格
であった。

あさはその様子を見て
綾子にあったとき
授業をうけたいと
いった。
「ちっともじっとして
いないのね」
と綾子は呆れて笑った。

そんなとき・・・

大阪の銀行が
支払い停止を行った。

栄三郎はあわてて
新次郎に相談した。

大きな不景気が来ると
いったあさのいった
とおりになったと
新次郎は
驚いた。
大阪恐慌という。
明治維新後の大阪に
大きなピンチが
きた。
****************
やっと開学されました。
今の日本女子大学といいます。
この時代、教育を受けたいと願う
女性がおなごに教育はいらないと
いう風潮によくぞ立ち向かって
入学したものだと思いました。

今日、あさが来た・・・

最終回となりました。

波瑠さんは
まだ24歳の女性ですが
この時のあさの年齢は
いくつかな?

50から60ぐらいかな??

白髪で杖を突いてよたよたと
歩く演技がみごとでした。

が、まだ

「おばあちゃんの大仕事」の
この日の放送は
まだまだあさが
脂ののった年代・・・

よのが逝ったことはさみしいこと
ですが・・

ひとり

ひとりと

なくなっていく

ドラマです・・・

さて
このブログ・・・
どこまでまとめられますやら。

桜が満開ですね。

入学式に残っていたら
いいのですけどね・・・。

では
つぎは
「誇り高き人生」です・・・

やっとこぎつけました。