みかんの季節6
新次郎が千代の女学校へ面会に
いった。
まわりは今風の女学生ばかりで
気おくれした新次郎。
こんなところで千代は上手くやっている
のかと心配する。
そこへ千代の声がした。
「ああ、数学は嫌ですわ~」
「あら、ごきげんよろしゅうなっていって
いたくせに」と宣がいう。
千代の様な商家の娘は数学ができないと
いけないのではといわれて、千代は
まったく家業を継ぐ気はないと
いった。
もったいないと宣は、いいながら
でもこんなに学校がたのしいやなんて、
思ってもいなかった。千代のおかげだ
といった。
そして、千代に会えたことを感謝
した。
千代は自分があさの娘だからでは
ないかというが宣にとっては
千代そのものがいごこちがいいの
だろう。
しかし、「卒業したどうしよう。
女子にも学べる大学校があれば
いいな」という。

千代は「お嫁に行き遅れますよ」と
いったところで
新次郎がじっとみていたのに
気が付いた。

「よう、なじんでまずがな」と
新次郎は、千代が元気なので
ほっとした。

そのころ、店ではあさは
成沢と話をしていた。

つぎつぎとお茶碗のお茶を
のみほす成沢に
圧倒されるあさ。

成沢はなぜあさに興味を持った
かという話をし始めた。
この銀行の話を聞いたのは
アメリカに留学中だった
という。
現金を扱う銀行が女子を雇う
なんてことはありえない。
その通念を軽々とのりこえ
しかも、業績を上げている
銀行が大阪にあると聞いた。

それがこの加野銀行だった。

どうせ、掃除でもやらせている
野だろうと思って帰国して
見に来たら

女性たちは人格をもって
きちんと働いていた。

そのみごとな働きぶりに
成沢は嬉しく思い
毎日見に来ていたという。

女子が知性をもって
社会の一員として
働いているのを見るのが
好きだという。

心が躍るといって
くすっと笑った。
気持ち悪い奴である。

部屋の外では平十郎が
ドアをノックして

紙を差し出した。

『大丈夫ですか?』

とあった。

あさは、
さらさらと紙に
文字を書いた。

『けったいなおひとや。』
成沢は気が付かずに話をする。
彼女たちを指導したのは
誰だと思って行員に聞くと
白岡あさという。

それで、あさを尊敬していると
いった。

あさは成沢に言った。
「あの子たちを認めてくだはる
ひとがいるとは
うれしい限りです。

今までは仮採用だったけど
いまは正式に働いてもらって
いる」というと

成沢はまたまたうれしそうに
「正式に・・・」といって笑った。

あさは、「あんたは何者だすか?」

と聞く。

「わたし・・・」と成沢は
いいかけ、
とまり

「わたし・・・」といいかけ

とまり・・・

ゆらっと体がゆれてあさに
抱き着く格好になった
ので

平十郎は驚き部屋の中へ入って
きたが

其れよりも早くあさは
成沢を
上手投げで
投げ倒してしまった。

一同、びっくりする。

成沢は
失神した。

そういえば痩せこけている。
座敷で、介抱するが
医者に見せると
滋養不足という。

つまり栄養不足である。

よくみると顔はきれいな顔である。

かのは
「今、はやりの清貧ではないか」という。

ハトは「その人は私の出た
女学校の先生をして
いたひとだ」という。

その後行員が家まで成沢を送ったが
まずしい家だったという。
それで、近所に聞き込みをすると
夢のためにお金を使い果たして
奥さんに愛想を尽かされて
出て行かれたらしい。

いったい何の用で
あさに会いに来たのかと
みんないう。


そのころ千代と
宣は・・・

宣は、新次郎が自分までお土産をくれて
素敵な人だという。

「ちょっと前までは趣味三昧の
頼りない男と言っていたのに」と
千代は言った。
「やっぱりちゃんとこの目で
みなあかんな」といって
宣は「お休み」といった。

千代は新次郎の言葉を
思い出していた。

「あのな千代
わて、前にも言ったけど
あんたのお母ちゃんを尊敬しています。
尊敬というより
愛情やな・・・
ずっとあさをそう見ていたから。
誰もがあさみたいになれるとは
思っていない。
あさも、そうだ。
はつさんにあこがれているところも
ある。
自分にはこの道しかあらへんと
いって
この道を歩いています。
千代に店で働いてほしいと思うけど
迷てます。」

千代はあさが迷うなんてと
驚いた。
千代は
あさのことを
殿方以上に強い人だと
いう。

新次郎から見たらそんなに強い
おなごではないと
いった。

それが、おどろきで
千代は
考え込んだ。

また店に成沢が来た。
「今日こそ自分の夢の実現のために
話を聞いてほしくて来た」という。

あさは、商法会議所にいく
ところだったので
話を聞く時間がないという。

成沢は
店を出て行くあさの
後姿に向かっていった。

「女子の教育に関心は
おありですか?」

あさは驚いて振り向いた。

成沢は、女学校で教鞭を
とり
アメリカで女子教育について
学んできた。
日本でもご一新以降ようやく女子の
教育に注目が集まり
明治三年横浜のヘボン施療所で
女子教育がはじまり
翌年には5人の女子が初めて
アメリカに渡った。
東京には女学校が開校し
京都では新英学校
女紅場が開設された。
明治八年には官立の女子師範学校
が開校。
しかし
ここにきて
まだ女子に開かれてないものがある。

「私は日本で初の女子の大学校を
作ろうと思っています。

あなたにはその設立にご賛同
いただきたい。」

「すばらしい」とあさはいうが
「でもあなたには、
それを実現することはできない」と
言って出て行こうとした。
成沢は
おいすがって
「あなたみたいな人でもわからないのか」と
いった。
日本の女性をながらくの精神的
鎖から解放するためには
女子教育が必要だと
訴えるのだった。

あさは、成沢に忙しいので
今日は堪忍してほしいと
いった。

成沢は諦めないという。

「新しい女子教育に理解を示して
下さるのは日本ひろしといえども
あなた以外にいない!」

そういって成沢は
自分の書いた教育論の原稿を
あさに渡した。

そして一礼して去って行った。

その夜
原稿を
あさは
読んだ・・・

そして感動して

涙してしまった。

その様子を新次郎が見て
驚いた。

「ないてんのかいな?

どないしはりましたんや?」

「何べん読んでも涙がとまらない
こんな素晴らしい考えの人が
この世にいたなんて

ああ、

びっくりぽんや!!!」

****************
千代の進路について
なやむあさ。
新次郎は千代の様子を見に行く。
お父さんの目線というのは娘にとって
貴重なアドバイスとなる。
千代にとって母の生き様は
特殊なもののようであるが
そうでもないと
新次郎はいいたいのだろう。
はつの生き方にも
あこがれている。
しかし、あさには、この道しか
ないと、さとっている。

大店の娘に生まれて何不自由なく
暮らしている千代に
女学校への進学は
あるいみ、世の中を見る
事になると思った。
全く知らない赤の他人が
活字によって知ったという
あさの人格像は
千代にとっては
おかしなものであったに
ちがいない。
そんな偉い人ではないと
前回もいったとおりだ。

その母の生き方が
千代のこれからの
生き方の
基本になっていると
思った。