待てば海路の日和あり6
ハナは一馬の部屋をかたずけて
いた。
そして木の箱に一馬のものをいれた。

外ではエマが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり、うまくいっている?」
エマは笑顔で答えた。

そこへハナが箱をもって出てきた。
その箱は何かとエマがきくと
一馬のものだという。
「農家に持って行って食べ物と
代えてもらうべ」といった。

エマは「もらっていいか」と聞いた。
「ダメだ」とハナは言う。
「ダメだ、エマにはあげられない。」
「どうして?」
「一馬を思ってくれるのは嬉しい。
でも、わすれよう。
忘れよう??
だからエマにはあげられない。
立ち止まっていたらダメだ。
前をむこう
前を向くしかねえべ」

「うん」

「ありがとう
わかってくれてありがとう。」

ハナは泣き顔のエマを抱きしめた。

そしてエリーを見た。
エリーもうなずいた。

エリーが台所にいた。
ラジオからはあのリンゴの唄が
聞こえてくる。

赤いリンゴに唇よせて
黙ってみている青い空
リンゴは何にも言わないけれど
リンゴの気持ちはよくわかる
りんごかわいや
かわいやりんご~~

この歌がなぜか気になるエリー。

「りんご、いい歌・・・」

さっき、ハナが言ってたことば
がよみがえる。

『立ち止まっていたらダメだ。
前向う・・・!』

そこへ、
「ハロー~~~~!!!

エリー。アットホームしてるかぁ??」

どこかで聞いたような英語と大阪弁
である。

エリーは、はっとした。

そこへ、かってに家に入って来たのは・・

♪~リンゴによく似たかわいい娘~~
(リンゴは何にも言わないけれど)
あんたにあうために
来たのよ、キャサリン~~
(リンゴの気持ちはよくわかる)

と歌いながら
何とキャサリンが
リビングに現れ
リンゴの唄の替え歌を歌いながら
くるくると踊った。

♪お邪魔しますよ~~(りんごかわいや)
私はキャサリン~~~(かわいやりんご)

と歌って、キャサリンは両手を挙げた。
エリーは、喜んで
「キャサリン」とハグをした。
「キャサリン!!!!!」
「エリー~~
エリ~ぃいいい~~」
二人とも大感激!
「信じられない
夢みたい
ほんとうにキャサリンなの?
英国に行ってたんでしょ。
(英語で)」

「フロムイングランドから
カムバックジャパーンや!!!」

一週間前に神戸についたという。
宣教師の一団と一緒に帰ってきた。
55日間かけて
アメリカ周りで・・

「私に会うために来たの?」

「イエス、イエス
オフコース!!!

といいたいとこやけど
チャーリーが
小樽の教会の炊き出しに駆り出され
てんねん。」
エリーは小樽と聞いて喜んだ。
「しばらくおるで、目と鼻の先や」と
キャサリンは言った。

「うちとエリーはな
離れられへん運命なんよ。」

そういってエリーの手にキスをした。
エリーはうれしくてまた
キャサリンをハグした。


「エリー・・・」
キャサリンはエリーの顔を見て
いった。

「よう生きてたな。
お互い
ほんまに
よう生きてた。」

エリーはうなずいた。

事務所にいる政春に熊虎がやってきて
話しかけた。

「余り思いつめるな。
一人で抱え込むのはよくない。
うまくいってねぇんだべ?
俺も親方やってたんだから
わかる。商品も売れてないのに
人雇って給料払って・・
ハナに聞いたが原酒を売らないかと
やくざのようなものが
来たんだってな。
進駐軍の話は悪い話ではない。
会社つぶれたら終わりだ。
せっかっくの原酒もパーだ。」

「命に代えても守ります」と
政春は言うが
「そんなことに命を使う必要はない。

せっかく生き残ったんだから。
命は大事に使え。

この、

あん ポン たん?

マッサン、武器商人だ
原酒屋だとばかにされたっていいじゃ
ないか。

悪いことをしているわけではない。」

「熊さん・・・」政春は立ち上がった。

「一馬のことを気にしてくれて
いるのか?俺たちに
気を遣わなくていいから
むしろ、敵を利用しろ。
そのくらいの気概を持て。

あはははは
そうだ
エリーを外に連れて行ってやれ。」

「わかってるんです」

「なら、一緒に出掛けてやれ
すこしづつでいいから
エリーの戦争を終わらせてやって
やれ

余計なこと言ったかな?

あはははは・・・」

「ありがとうございます。」
政春は頭を下げた。
熊虎は笑いながら
部屋から出て行った。

リビングではエリーがお茶をいれて
いた。

さっきのリンゴの唄を教えてくれと
キャサリンに言うエリー。

あれは、女優の並木路子さんが
歌っているという。
彼女はこの戦争でご両親も
お兄さんもなくていると
いった。

「誰よりもつらいはずなのに
あんなに明るい声で歌えるなんて
すごいと思わへん?」

「すごいよ・・・」
「マルでエリーみたいやなと
思ったで。」

「ふふふ、え?」

エリーは笑って何のことだと
聞いた。
「そんなことないよ。」

「どんなに辛くても
あんたずっと笑ってきたんやろ?
うちはわかる。
よう頑張ったな?」
キャサリンは泣き出すエリーのほおに
手を当てた。

エリーはキャサリンの手を握って
泣いた。
「キャサリン・・・。」

「ホンマによう頑張った。」

エリーは声を上げて泣いた
「ええで
ないてええで
エリー
よう頑張った!!」

母親に抱かれる子供のように
エリーは泣き続けました。

「よし、よし、よし、よし・・・」

政春はその様子を窓から見て
ほっとしたように笑った。

しばらくして
オルガンの音が鳴った。

発声練習をしている。

ドレミレド・・・
を一音ずつ挙げて
ハハハハハ・・・と
声を出した。

「そうじゃったんですか。
種子さんが小樽に。」

すると種子は
「キャサリン!」といいなおした。
逃げようといってきたとき
種子ですと
いったけどね。
あのとき、特高が見張って
いたし・・・。
スパイだとエリーが疑われた
きっかけにも
なったし。

「そうだ、エリーも炊き出し手伝って
ほしい」とキャサリンが言う。
「タキダシ?」
「身内を亡くしたり
家を亡くしたり行くところが
ないひとがぎょうさんいてはるねん。」

政春は、大声で
「そりゃ~~ええ!!!!」

といったのでキャサリンは

「ああ
びっくりした・・」と
驚いた。

「エリー一緒に行こう。」
エリーは悩んだ。
「マッサン?」

「わしがついておる。」

エリーはしばらくして
笑った。

「よっしゃ、ほなもう一回行こうか
エリー。」

エリーがリンゴの唄をうたった。

「ベリーグー~~」
キャサリンは言った。
そして
♪リンゴかわいや
かわいやりんご~~
とエリーが歌って終わると
キャサリンが
♪エリー
かわいや
かわいやエリーと
替え歌にした。

あははは~~
拍手をするエリー。

「マッサン、エリーを大事にセナ
うちが承知せえへんで!!」

「分かっとります。」

「よっしゃ、ほなもう一回行こうか
マッサンも行こうかぁ~~」

「わしはええて~~~」

といいながらも
エリーに腕を惹かれて
たちあがり
政春は
笑いながらリンゴの唄を
エリーとうたった。

『ママ・・・
人生は不思議です。
私は一番つらい時代をこの国で生きて
この国の人々の本当の強さを
しりました。

私は日本と出会えて幸せです。』

政春の声がした。

「エリー、そろそろいくど!!」

エリーは
「はあい」と返事をした。

母への手紙をきちんと揃えて
メガネをはずし
立ち上がって部屋を出た。

手紙の最後にこうしたためた。
『私は日本人を愛しています。』

外では政春が待っていた。
ドアを開けてエリーが現れると
グリーンのストールに
濃い赤色のワンピースのエリーを見て

「エリー!
きれいじゃ!」

と、いった。

「ありがとう。」

「では行こうか?」

「うん。」

窓からエマが見送った。
「気を付けて。」

エリーに政春はうでひじを
出した。

エリーはその腕に
自分の腕を通して
笑って
エマに
「いってきます」といった。

エマは
「いってらっしゃい」という。

ふたりは顔を見合わせ
歩き出した。

エリーは戦争が終わって
この日初めて

工場の外へと
出かけました。

マッサンは経営を立て直す
ために進駐軍との取引を
始めました。
****************
よかったですね。
戦争以来
マッサンがシリアスで
ハラハラが続いたので
よかったと思いました。

余りにもつらいことが
多すぎたエリーでした。

この夫婦のお出かけの
喜びはどんなにうれしかった
ことでしょうか。

キャサリンの強さも救いだったし
ハナの思いやりもすばらしい。
エマに一馬の形見をわたさなかった
こと。前を向くしかないと
いったこと。
熊虎の政春への御意見。
敵を利用しろ。
会社がつぶれたら終わりだ。
武器商人やら原酒屋などと
いわれてもいいではないか
と、いったこと。
エリーの戦争を終わらせてやれ
といったこと・・・。
これは、戦争以来ここまで
流れの中でやっと、庶民にとっての
戦争を終わらそうとするエネルギーを
感じました。

私は戦争が終わって
ひと段落ついたころに生まれました。
ひと段落はひと段落です(笑)
小さいとき、傷痍軍人が町にいて
物乞いをしていました。
ある人は自分が足がないことを
訴え、あるひとはぐるぐる巻きの包帯を
頭中にして悲惨さを訴え
それが本物かどうかわかりませんが
戦争は怖いものを思いました。

そして大人たちの話の中に
戦争のときは・・・・というフレーズが
よく出てきました。
戦争のときは、食べ物がなくて・・
戦争のときは、夜になると電球に布を
かぶして、光が漏れないようにしたとか。
戦争のときは突然、空襲警報がなって
とか・・・
ついこの間のように話すのです。
わたしにとっては記憶など
もちろん生まれても
ないので、知らない時代では
ありますが
やはり実体験はリアルです。

東北の大震災が終わって4年。
まだ、四年なのか
もう四年なのか
わかりませんが、つい
この間のように思えて仕方ありません。
テレビは現地の様子を
できる限り、取材してはどの時間帯も
流していました。
AC広告機構しかコマーシャルがありません
でした。
ちょうど四年前の3月11日。
京都も震度3ぐらいですが
ゆれてびっくりしました。

しかし、関東、東北はもっと
ゆれたことと津波の恐ろしさを
知りました。
テレビの画面で大きな津波が川を
さかのぼる様子や
田畑を呑み込み、家を呑み込み
車をけちらし
道を覆い・・・
あの家には
あの街角には
誰もいなかったんだろうか?
と、その光景に目を見張りました。

これは・・
特殊撮影ではないよね・・・・

と、
ぞっとしました。

四年たっても今でもぞっとしますが。

エリーのように、鬼畜と言われて
ののしられて
嫌われて、スパイ扱いされて
戦争が終わったから自由だよと言われて
ああ、そうですかと速攻
外出ができるわけ、ないですよね。
心の傷の大きさは計り知れないものだ
と思いました。