待てば海路の日和あり3
一馬が小さな木箱にはいって
合同葬から帰ってきた。
ハナは声をかけた。
「お帰り、やっと帰って着たよ・・」
政春は、研究所に置いてある
フラスコに入った麦を見た。
一馬がウイスキーのために作った
大麦だった。
『いつか、世界に誇れる
メイドインジャパンのウヰスキーを
作ってください。
俺の夢は社長に託します。』
一馬がそういった。
エリーがやってきた。
「マッサン、一馬帰って来たよ。」
「ほうか・・。」
森野家にいくと
祭壇があり、一馬の木箱が
おいてあった。
既にエマは座っていた。
政春とエリーは熊虎とハナに
挨拶をした。
「熊さん、ハナちゃん
お帰りなさい。」
すると熊虎が祭壇においてある
木箱をおろして
「あけて見ろ」という。
驚く政春。
「いいから開けて見ろ。」
その白木の木箱のふたを取ると
白い陶器の骨を入れる壺が
はいっていた。
政春は、その壺のふたを取った。
そして、驚いたように熊虎を
みた。
壺の中には
短冊が一枚あって
『故陸軍上等兵森野一馬』とあった。
「これ?」
政春がいうとハナが「紙切れ一枚だ」
といった。
エマは声を上げて泣いた。
「もう泣くな、泣いたって一馬は帰って
こない。」
エリーは熊虎に言った。
「熊さん、一馬は帰ってきた。
皆でお帰りなさいの会を開いてあげよう。」
政春もうなずいた。
俊夫も賛成した。
俊夫は「一馬と仕込んだウヰスキーで
乾杯・・・いや
献杯じゃ・・
のう、お父さん!!」
「なんじゃ、いきなりお父さんて。」
「あはははは。。。」俊夫は笑った。
ハナも、「エリーさんの言う通りじゃ」
という。
「壮行会をやったんだから、みんなで
ご苦労様の会を開いて
やっぺ?」
「んだな。うん」と熊虎。
エリーは早速準備に入った。
エマも手伝った。
準備ができた。
一馬の席も用意した。
一馬が好きだったジャガイモもち。
エリーはエマと一緒に造ったという。
一馬の席にそれをおいて
「たくさん食べて」といった。
政春はウイスキーをついだ。
「一馬からじゃ」と一馬のグラスに
そそいだ。
熊虎は、一馬の代わりに「ありがとう」
といった。
「今夜限りだ。
明日からは一馬の分までがんばって
生きて行こう。な?ハナ。」
「はい・・」
そしてエマに向かって「エマもわかったな?」
「はい・・」エマも笑って答えた。
「みんな聞いてくれ。」
政春が言った。
「これは一馬が残した麦の種じゃ。
この種を育ててウイスキーを
仕込もうと思う」といった。
俊夫もエリーも喜んだ。
「んだら、マッサン音頭を取ってくれ。」
と熊虎。
「はい、一馬お帰り。」
「お帰り、」
「おかえり」
「おかえりなさい・・」
「お帰り!」
そしてみんなで「献杯」と言って
ウヰスキーグラスを掲げた。
みんな泣きながらさあ食べようと
いってお帰りなさいの会は
にぎやかに行われた。
そのとき、
「今朝8時20分
広島に爆弾と焼夷弾が落とされた」と
ラジオが伝えた。
広島を襲った新型の爆弾こそ
世界を震撼させる大参事だと
いうことをまだ誰も知りません。
政春は広島の竹原に電話をかけたが
つながらない。
家が心配だった。
電報を打ちに行った。
心配するエマにエリーはきっと
大丈夫といった。
翌日のことだった。
エリーはリビングで転寝をして
いた。
台所のほうから
音が何かしらして
びっくりして起きた。
誰かいる。
窓が開いていた。
エリーが台所をのぞくと
10歳くらいの少年が
その辺をあさっていた。
「なにしてるの?」
と声をかけると
驚いた様子をした。
そして恐怖の表情をした
ので、「大丈夫、大丈夫」と
いった。
エリーがちかづくと包丁を
エリーに向けて「なんで
アメリカがここにいる!」と
威嚇した。
エリーはショックで目をつむった。
「父ちゃん殺したアメリカが
なんでここにいるんだ。
わぁ~~~~~~!!!!!」
叫びながら少年は入った窓から
出て行った。
エリーは動けなかった。
そのまま膝をおって座り込んだ。
マッサンが打った電報の返信は
来ないまま、8月9日、広島に続き
長崎にも新型爆弾が投下され
日本は終戦を迎えた。
1945年8月15日。
森野宅にあつまった工員、社員たち
と政春、エリー、熊虎、ハナ、エマ
俊夫は玉音放送を聞いた。
難しい日本語の端々で
わかる範囲で日本は戦争に負けたことを
知り、みんな泣いていた。
エリーは、政春の横で難しい日本語
がわからず、みんなの様子をみていた。
ぞろぞろと力なく家を出る工員たち。
政春にエリーは声をかけた。
「マッサン?」
「日本は負けた。
戦争は終わったんじゃ
エリーは自由じゃ。
どこにいってもええ、
大きい声で英語でしゃべっても
いい、歌ってもいい・・」
エリーは門を見て言った。
「私、外へ出てもいいのね?
英語でしゃべってもいいのね?
ほんとうね?」
その瞬間、エリーは安堵と同時に
倒れてしまった。
エリーを寝かしているそばで
エマは政春にいった。
「お父さん、日本は負けたのでしょ?
いったいどうなるの?
何でもっと早く戦争をやめられ
なかったの?
そうすれば一馬さんは死なずに済んだ。
お母さんはこんな苦しい目に
会わずに済んだ・・・。」
政春はじっとエリーを見た。
エリーはそのまま、まる一日
ねむり続けました。
*******************
エリーの戦争で受けた心の傷は大きかったと
思います。
心だから見えないけど
ほんとうは重傷だったのでは
ないでしょうか。
あんな小さな子供に包丁をつき
つけられて、アメリカといわれ
父ちゃんを殺したアメリカと
ののしられ、外国人ゆえの
苦しみを思い知らされた
エリーでした。
自由もなく、英語も話せず
常に特高に見張られ
不自由で屈辱的な日々はこれで
終わったわけです。
日本人は手のひらを返したかの
ように、エリーを讃嘆するでしょう。
アメリカ人ではないけど
アメリカ人だといって、ちやほやする
のではないかと思います。
あの少年のように、青い目と金色の髪
があれば、熊虎が言っていた
勝てば官軍なのです。
その大きなギャップをエリーは
どう乗り越えるのでしょうか。
いきなり日本は国際化の
波の中に放り出され、英語を
離すことがエリートの要件と
なっていきます・・・。
英語を話すなという時代から
英語が話せないとだめだと
いう時代に180度
回転していくのですね。
悲しい・・・。
一馬が小さな木箱にはいって
合同葬から帰ってきた。
ハナは声をかけた。
「お帰り、やっと帰って着たよ・・」
政春は、研究所に置いてある
フラスコに入った麦を見た。
一馬がウイスキーのために作った
大麦だった。
『いつか、世界に誇れる
メイドインジャパンのウヰスキーを
作ってください。
俺の夢は社長に託します。』
一馬がそういった。
エリーがやってきた。
「マッサン、一馬帰って来たよ。」
「ほうか・・。」
森野家にいくと
祭壇があり、一馬の木箱が
おいてあった。
既にエマは座っていた。
政春とエリーは熊虎とハナに
挨拶をした。
「熊さん、ハナちゃん
お帰りなさい。」
すると熊虎が祭壇においてある
木箱をおろして
「あけて見ろ」という。
驚く政春。
「いいから開けて見ろ。」
その白木の木箱のふたを取ると
白い陶器の骨を入れる壺が
はいっていた。
政春は、その壺のふたを取った。
そして、驚いたように熊虎を
みた。
壺の中には
短冊が一枚あって
『故陸軍上等兵森野一馬』とあった。
「これ?」
政春がいうとハナが「紙切れ一枚だ」
といった。
エマは声を上げて泣いた。
「もう泣くな、泣いたって一馬は帰って
こない。」
エリーは熊虎に言った。
「熊さん、一馬は帰ってきた。
皆でお帰りなさいの会を開いてあげよう。」
政春もうなずいた。
俊夫も賛成した。
俊夫は「一馬と仕込んだウヰスキーで
乾杯・・・いや
献杯じゃ・・
のう、お父さん!!」
「なんじゃ、いきなりお父さんて。」
「あはははは。。。」俊夫は笑った。
ハナも、「エリーさんの言う通りじゃ」
という。
「壮行会をやったんだから、みんなで
ご苦労様の会を開いて
やっぺ?」
「んだな。うん」と熊虎。
エリーは早速準備に入った。
エマも手伝った。
準備ができた。
一馬の席も用意した。
一馬が好きだったジャガイモもち。
エリーはエマと一緒に造ったという。
一馬の席にそれをおいて
「たくさん食べて」といった。
政春はウイスキーをついだ。
「一馬からじゃ」と一馬のグラスに
そそいだ。
熊虎は、一馬の代わりに「ありがとう」
といった。
「今夜限りだ。
明日からは一馬の分までがんばって
生きて行こう。な?ハナ。」
「はい・・」
そしてエマに向かって「エマもわかったな?」
「はい・・」エマも笑って答えた。
「みんな聞いてくれ。」
政春が言った。
「これは一馬が残した麦の種じゃ。
この種を育ててウイスキーを
仕込もうと思う」といった。
俊夫もエリーも喜んだ。
「んだら、マッサン音頭を取ってくれ。」
と熊虎。
「はい、一馬お帰り。」
「お帰り、」
「おかえり」
「おかえりなさい・・」
「お帰り!」
そしてみんなで「献杯」と言って
ウヰスキーグラスを掲げた。
みんな泣きながらさあ食べようと
いってお帰りなさいの会は
にぎやかに行われた。
そのとき、
「今朝8時20分
広島に爆弾と焼夷弾が落とされた」と
ラジオが伝えた。
広島を襲った新型の爆弾こそ
世界を震撼させる大参事だと
いうことをまだ誰も知りません。
政春は広島の竹原に電話をかけたが
つながらない。
家が心配だった。
電報を打ちに行った。
心配するエマにエリーはきっと
大丈夫といった。
翌日のことだった。
エリーはリビングで転寝をして
いた。
台所のほうから
音が何かしらして
びっくりして起きた。
誰かいる。
窓が開いていた。
エリーが台所をのぞくと
10歳くらいの少年が
その辺をあさっていた。
「なにしてるの?」
と声をかけると
驚いた様子をした。
そして恐怖の表情をした
ので、「大丈夫、大丈夫」と
いった。
エリーがちかづくと包丁を
エリーに向けて「なんで
アメリカがここにいる!」と
威嚇した。
エリーはショックで目をつむった。
「父ちゃん殺したアメリカが
なんでここにいるんだ。
わぁ~~~~~~!!!!!」
叫びながら少年は入った窓から
出て行った。
エリーは動けなかった。
そのまま膝をおって座り込んだ。
マッサンが打った電報の返信は
来ないまま、8月9日、広島に続き
長崎にも新型爆弾が投下され
日本は終戦を迎えた。
1945年8月15日。
森野宅にあつまった工員、社員たち
と政春、エリー、熊虎、ハナ、エマ
俊夫は玉音放送を聞いた。
難しい日本語の端々で
わかる範囲で日本は戦争に負けたことを
知り、みんな泣いていた。
エリーは、政春の横で難しい日本語
がわからず、みんなの様子をみていた。
ぞろぞろと力なく家を出る工員たち。
政春にエリーは声をかけた。
「マッサン?」
「日本は負けた。
戦争は終わったんじゃ
エリーは自由じゃ。
どこにいってもええ、
大きい声で英語でしゃべっても
いい、歌ってもいい・・」
エリーは門を見て言った。
「私、外へ出てもいいのね?
英語でしゃべってもいいのね?
ほんとうね?」
その瞬間、エリーは安堵と同時に
倒れてしまった。
エリーを寝かしているそばで
エマは政春にいった。
「お父さん、日本は負けたのでしょ?
いったいどうなるの?
何でもっと早く戦争をやめられ
なかったの?
そうすれば一馬さんは死なずに済んだ。
お母さんはこんな苦しい目に
会わずに済んだ・・・。」
政春はじっとエリーを見た。
エリーはそのまま、まる一日
ねむり続けました。
*******************
エリーの戦争で受けた心の傷は大きかったと
思います。
心だから見えないけど
ほんとうは重傷だったのでは
ないでしょうか。
あんな小さな子供に包丁をつき
つけられて、アメリカといわれ
父ちゃんを殺したアメリカと
ののしられ、外国人ゆえの
苦しみを思い知らされた
エリーでした。
自由もなく、英語も話せず
常に特高に見張られ
不自由で屈辱的な日々はこれで
終わったわけです。
日本人は手のひらを返したかの
ように、エリーを讃嘆するでしょう。
アメリカ人ではないけど
アメリカ人だといって、ちやほやする
のではないかと思います。
あの少年のように、青い目と金色の髪
があれば、熊虎が言っていた
勝てば官軍なのです。
その大きなギャップをエリーは
どう乗り越えるのでしょうか。
いきなり日本は国際化の
波の中に放り出され、英語を
離すことがエリートの要件と
なっていきます・・・。
英語を話すなという時代から
英語が話せないとだめだと
いう時代に180度
回転していくのですね。
悲しい・・・。
