万事休す6
大阪から田中大作が来た。
札幌の知り合いに会いに来た
ついでによったという。
大作と話をする政春。
「実は大阪の出資者から
今いる社員を半分にしろ。
できないなら、おまえがここから出て
行けと言われている。」
それがつらいと政春は田中に言った。
田中はドウカウイスキーの販売が
芳しくないと話を聞いた
ので心配していたと
いう。
大作は、「それは厳しい話だ。
どうするつもりや」と政春に聞いた。
政春は、「鴨居の大将のところの
マル瓶はなぜ売れたかわかりますか」と
聞いた。
大作は、「宣伝か?それとも日本人の舌が
なれてきたのか?」という。
政春は「年月だと思う」といった。
「鴨居商店の樽には5年。10年。
15年と、さまざまな熟成期間の
原酒がそろっている。
それを確かな感覚の大将がしっかり
吟味してブレンドしたのが
マル瓶です。
ウイスキーづくりはずっと未来に続く
夢なんです。
今わしらが作って仕込んでいる酒は
実はわしらがおらんようになってから
遠い未来に生きてくるんです。
だから、ここに工場を建てたとき
何が何でも毎年毎年酒を造って
樽に仕込むんだと決めました。
去年ある人に言われました。
ジャパニーズウイスキーの歴史をつく
ってください。何があってもあきらめたら
いけませんよ。(上杉龍之介だった)
わしの仕事はドウカウイスキーだけ
のものではなくジャパニーズウイスキー
の歴史をつくっているのです。
この先50年。100年後にはもしかしたら
本場スコットランドを超えるような
ジャパニーズウイスキーができ取るかも
しれん・・・」
「答えが出とるやないか。」
田中は笑って言った。
田中は政春が何がなんでも会社を
たたむことはしないと決めているのが
わかった。
田中は安心して大阪に帰れると言って
帰って行った。
エリーは大作に感謝した。
エリーは知っていた。
田中が北海道に来たのは
知り合いの結婚式ではなく
実はマッサンを励ますために
わざわざ来てくれたことを・・・。
社員の間では会社の将来に不安を
感じる人が多かった。
ある日、政春はニシン御殿に社員を
集めた。
皆の前でドウカウイスキーは売れてない
こと。会社は倒産寸前だということを話した。
「すべては社長である自分の責任だ」といった。
「この場を借りて経営者としての
能力のなさをわびる」と頭を下げた。
これからもこの会社を続けるために
人員整理をすることにしたと
いった。
そして、
今月いっぱいで会社を辞めてもらうひと
の名前を発表した。
福田栄一さん
田中マツさん
遠藤チカさん
細田ヨシエさん
・・・・
名前を呼ばれた人は驚き泣きながら
去って行った。
しかし、政春は必ず、会社を建て直し
彼らをもう一度ここに迎えて共に
ウイスキーを造ろうと自分に
言い聞かせていた。
エリーはそんなマッサンの気持ちがいたい
ほど分かった。
「以上・・・」
泣き声がニシン御殿に響いた。
俊夫も暗い顔をした。
その後のことだった。
政春がホットスチルで作業をして
いるとき、俊夫が手伝いますという。
「お坊ちゃまを信じてどこまでも
ついていきます。」
その時一馬が駆け込んできた。
「マッサン、大変です。
海軍さんが来ました。」
「海軍??」
政春はおどろいた。
エリーもエマも何事かと
見に来た。
軍人はウイスキーの味見をした。
「やはり、こんなものか。」
政春は、「こんなもの?」と言い返した。
俊夫は「それはどういうことでがんす?」と
聞いた。
一馬は俊夫を止めた。
軍人は「実は欧州の戦争の影響で
洋酒の輸入が難しくなってきてな。
ウヰスキーを大量に確保しておく必要に
迫られている。」という。
「それで?」と政春。
「よし、すべて海軍で買い上げよう。」
一馬は、「ドウカウイスキーの在庫分全部を
買い取っていただけるのですか?」
と、しっかりと海軍に質問した。
「ま、ウイスキーの味もわからんような連中
にはこの程度でも十分だろう。」と軍人。
「この程度?この程度って・・」と俊夫は
海軍に詰め寄ろうとしたら
また一馬が止めた。
「海軍は今日からここを
海軍指定工場とし、今後ここで生産される
ウヰスキーは、すべて海軍の買い上げとする。
よろしいかな?」
軍人は政春に言った。
政春はあまりの展開に声が出ない。
海軍は、政春の顔を見て了解をもらったと
思った。
そして「行くぞ」と部下をつれて
工場を出るときエリーを見た。
エリーは、うつむいた。
エマもうつむいた。
海軍は敬礼をして去って行った。
つまり、海軍がすべてを買い上げる
のなら・・・
生産が再開となる。
売り上げが海軍から入る。
人員整理をした人を元に戻して
生産をしなくてはいけない。
一馬と俊夫は首にした社員を
元に戻るように言いに行こうと
いって出て行った。
エマも喜んで私も行くと言ってついて
いった。
皮肉にも戦争によって会社が救われ
た。
マッサンとエリーはこれで社員を
守ることができるという安堵
感でいっぱいとなった。
そして政春たちは12月8日午前六時
大本営発表のニュースに驚いた。
日本が米英の連合国と開戦に入ったというのだ。
*************
田中の思いやりに感動した。
その懐の深さに自分の考えを
つとつとと話すうちに政春は
どうしなければならないのかと
気が付いたことだろう。
もう答えが出とるやないか・・・
その通りだった。
あれほど、悩んでいたことが
既に自分の中で結論が出ていたのだ。
それに気がつけせてもらったことが
ありがたかった。
そして・・・
海軍がウイスキーを
お買い上げ???
全部???
なぜ???
ちょっとわかりにくいけど
海軍がウイスキーを必要としている
とは???
なんなの?
ま、売れてよかった。
海軍の御用達になったわけなんだ。
それは安定する…しばらくは・・。
大きなどんでん返しだったけど
社員とその家族を守れてよかったと
思います。
売れなくてはどうにもならないと
いうことを政春はいやというほど
知ったのですね。
ウイスキーの原酒は50年・・・
100年・・・と寝かしたものが
値打ちがあるらしい。
まさしく、政春たちがこの世から
いなくなって、初めて世に出る
商品となるということは・・・。
山崎のサントリーのある方がその話を
していました。
今自分たちは
ずっと以前の先輩たちが残して
下さったものを商品化して出荷して
いることを。
そして、自分たちがいま、作って
いる原酒は、ずっと未来の社員さんが
それを商品化するといいます。
いいものを残してくださった先輩に感謝し
自分たちも未来に向かっていいものを残して
行こうというお話を
していました。
ウイスキーづくりは
長い時をへて、人と人、文化と文化
時代と時代をむすぶ、お仕事なんですね。
大阪から田中大作が来た。
札幌の知り合いに会いに来た
ついでによったという。
大作と話をする政春。
「実は大阪の出資者から
今いる社員を半分にしろ。
できないなら、おまえがここから出て
行けと言われている。」
それがつらいと政春は田中に言った。
田中はドウカウイスキーの販売が
芳しくないと話を聞いた
ので心配していたと
いう。
大作は、「それは厳しい話だ。
どうするつもりや」と政春に聞いた。
政春は、「鴨居の大将のところの
マル瓶はなぜ売れたかわかりますか」と
聞いた。
大作は、「宣伝か?それとも日本人の舌が
なれてきたのか?」という。
政春は「年月だと思う」といった。
「鴨居商店の樽には5年。10年。
15年と、さまざまな熟成期間の
原酒がそろっている。
それを確かな感覚の大将がしっかり
吟味してブレンドしたのが
マル瓶です。
ウイスキーづくりはずっと未来に続く
夢なんです。
今わしらが作って仕込んでいる酒は
実はわしらがおらんようになってから
遠い未来に生きてくるんです。
だから、ここに工場を建てたとき
何が何でも毎年毎年酒を造って
樽に仕込むんだと決めました。
去年ある人に言われました。
ジャパニーズウイスキーの歴史をつく
ってください。何があってもあきらめたら
いけませんよ。(上杉龍之介だった)
わしの仕事はドウカウイスキーだけ
のものではなくジャパニーズウイスキー
の歴史をつくっているのです。
この先50年。100年後にはもしかしたら
本場スコットランドを超えるような
ジャパニーズウイスキーができ取るかも
しれん・・・」
「答えが出とるやないか。」
田中は笑って言った。
田中は政春が何がなんでも会社を
たたむことはしないと決めているのが
わかった。
田中は安心して大阪に帰れると言って
帰って行った。
エリーは大作に感謝した。
エリーは知っていた。
田中が北海道に来たのは
知り合いの結婚式ではなく
実はマッサンを励ますために
わざわざ来てくれたことを・・・。
社員の間では会社の将来に不安を
感じる人が多かった。
ある日、政春はニシン御殿に社員を
集めた。
皆の前でドウカウイスキーは売れてない
こと。会社は倒産寸前だということを話した。
「すべては社長である自分の責任だ」といった。
「この場を借りて経営者としての
能力のなさをわびる」と頭を下げた。
これからもこの会社を続けるために
人員整理をすることにしたと
いった。
そして、
今月いっぱいで会社を辞めてもらうひと
の名前を発表した。
福田栄一さん
田中マツさん
遠藤チカさん
細田ヨシエさん
・・・・
名前を呼ばれた人は驚き泣きながら
去って行った。
しかし、政春は必ず、会社を建て直し
彼らをもう一度ここに迎えて共に
ウイスキーを造ろうと自分に
言い聞かせていた。
エリーはそんなマッサンの気持ちがいたい
ほど分かった。
「以上・・・」
泣き声がニシン御殿に響いた。
俊夫も暗い顔をした。
その後のことだった。
政春がホットスチルで作業をして
いるとき、俊夫が手伝いますという。
「お坊ちゃまを信じてどこまでも
ついていきます。」
その時一馬が駆け込んできた。
「マッサン、大変です。
海軍さんが来ました。」
「海軍??」
政春はおどろいた。
エリーもエマも何事かと
見に来た。
軍人はウイスキーの味見をした。
「やはり、こんなものか。」
政春は、「こんなもの?」と言い返した。
俊夫は「それはどういうことでがんす?」と
聞いた。
一馬は俊夫を止めた。
軍人は「実は欧州の戦争の影響で
洋酒の輸入が難しくなってきてな。
ウヰスキーを大量に確保しておく必要に
迫られている。」という。
「それで?」と政春。
「よし、すべて海軍で買い上げよう。」
一馬は、「ドウカウイスキーの在庫分全部を
買い取っていただけるのですか?」
と、しっかりと海軍に質問した。
「ま、ウイスキーの味もわからんような連中
にはこの程度でも十分だろう。」と軍人。
「この程度?この程度って・・」と俊夫は
海軍に詰め寄ろうとしたら
また一馬が止めた。
「海軍は今日からここを
海軍指定工場とし、今後ここで生産される
ウヰスキーは、すべて海軍の買い上げとする。
よろしいかな?」
軍人は政春に言った。
政春はあまりの展開に声が出ない。
海軍は、政春の顔を見て了解をもらったと
思った。
そして「行くぞ」と部下をつれて
工場を出るときエリーを見た。
エリーは、うつむいた。
エマもうつむいた。
海軍は敬礼をして去って行った。
つまり、海軍がすべてを買い上げる
のなら・・・
生産が再開となる。
売り上げが海軍から入る。
人員整理をした人を元に戻して
生産をしなくてはいけない。
一馬と俊夫は首にした社員を
元に戻るように言いに行こうと
いって出て行った。
エマも喜んで私も行くと言ってついて
いった。
皮肉にも戦争によって会社が救われ
た。
マッサンとエリーはこれで社員を
守ることができるという安堵
感でいっぱいとなった。
そして政春たちは12月8日午前六時
大本営発表のニュースに驚いた。
日本が米英の連合国と開戦に入ったというのだ。
*************
田中の思いやりに感動した。
その懐の深さに自分の考えを
つとつとと話すうちに政春は
どうしなければならないのかと
気が付いたことだろう。
もう答えが出とるやないか・・・
その通りだった。
あれほど、悩んでいたことが
既に自分の中で結論が出ていたのだ。
それに気がつけせてもらったことが
ありがたかった。
そして・・・
海軍がウイスキーを
お買い上げ???
全部???
なぜ???
ちょっとわかりにくいけど
海軍がウイスキーを必要としている
とは???
なんなの?
ま、売れてよかった。
海軍の御用達になったわけなんだ。
それは安定する…しばらくは・・。
大きなどんでん返しだったけど
社員とその家族を守れてよかったと
思います。
売れなくてはどうにもならないと
いうことを政春はいやというほど
知ったのですね。
ウイスキーの原酒は50年・・・
100年・・・と寝かしたものが
値打ちがあるらしい。
まさしく、政春たちがこの世から
いなくなって、初めて世に出る
商品となるということは・・・。
山崎のサントリーのある方がその話を
していました。
今自分たちは
ずっと以前の先輩たちが残して
下さったものを商品化して出荷して
いることを。
そして、自分たちがいま、作って
いる原酒は、ずっと未来の社員さんが
それを商品化するといいます。
いいものを残してくださった先輩に感謝し
自分たちも未来に向かっていいものを残して
行こうというお話を
していました。
ウイスキーづくりは
長い時をへて、人と人、文化と文化
時代と時代をむすぶ、お仕事なんですね。
