京都の京都府立文化博物館で
おこなわれている「インカ帝国の謎展」。

インカ帝国展-マチュピチュ「発見」100年

会 期:平成25年4月16日(火)~6月23日(日)
*月曜日休館
*祝日は開館、翌日休館開室時間午前10時-午後6時
*金曜日は午後7時30分まで
(入場はそれぞれ30分前まで)

主催京都府、京都文化博物館、MBS、毎日新聞社

興味はないわけではないがあるわけでもない。
しかし、マチュピチュは有名になったので
発見100年というと・・・と気になった。
マピュピチュはインカ王の別荘地と言うが。

100年前と言うと1913年ごろ?
日本では大正時代がはじまったあたりかと思うが。
そんな昔によくぞ発見したものだとおもった。

あの天空の都市マチュピチュにみるだんだん畑とか
その水利システムとか・・・見事な都市である。
インカ帝国の王が国中を統治するために
つかった、チャスキという飛脚で俊足である。
情報伝達人として一日280キロメートルを
リレーして走ったと言う。
今も昔も情報は大事なのだ。

また街づくりに欠かせないのが石の加工技術である。
水利のための用水路、壁、段々畑をつくるために
使われたり、もちろん建物にもつかわれた。

その技術は石と石のあいだにかみそりさえ
通らないと言われている。

ミイラに対する思いはどうなんだろう?
この国もミイラを作っていた。

特にインカ帝国の王のミイラは
死んだとは思われていないらしく
ミイラになっても輿に乗って
お祭りに出たりすると言う。
王だけではなく一般家庭でも
ミイラは家族の一員として扱われた。

つまり死後もミイラになって家族や国を
守ってくれると言う信仰である。

しかし地方によってはなきがらの頭髪を
切り取り、皮膚をなめして磨いて
折りたたむようにして綿の布にくるんで
埋葬することもあたらしい。

1995年に見つかった少女のミイラがアル。
ペルー南部のアンパト山標高6300メートル
の雪山でみつかった。14歳で147センチメートルの
身長。500年まえのミイラとは思えないほど
保存状態が良かったらしい。雪山の低温度の
影響である。

自然の猛威で苦しいときに神様にささげる
いけにえとして子供たちがささげられたと言うが
これは大事なものを差し上げますから
どうか、助けてくださいと言う信仰らしい。

この14歳の少女はどんな思いでいけにえにされた
のだろうか?

ミイラの展示も3~4体あった。
じいっと見入ってしまった・・・・・。私は大丈夫だろうか??

やがて大航海時代がはじまる。15世紀から16世紀。
白人たちがやってくる。
金銀領土を狙っての植民地支配のためである。

繁栄を誇ったインカ帝国はスペイン人によって
滅ぼされる。

インカ帝国は黄金の国で黄金がたくさん取れたらしい。
どの場所かは不明である。
信仰の道具や、生贄と一緒にほうむられる
人間の代わりの人形などは金でできている。
あとは位をあらわす装飾品なども。

いわゆる文化の中心的なグッズをゴールドで
作ったわけだ。それをスペイン人は本国に持って
帰ったわけだ。
しかもそのグッズはすべて溶解された。
インカの精神や文化を後世に残さないようにとの
方針で。とかされた黄金は延べ棒にされて
経済を潤したと言う。

スペイン人に支配されてキリスト教文化に
気持を変えたとしてもインカのひとたちは
いずれ、インカ王が復活して
またあの自分たちの時代がやってくると思っていたらしい。
処刑された最後の王トウパクアマルの末裔と言う
男が出て1780年に反乱を起こすが
鎮圧された。

インカの神殿はキリスト教の協会に
宮殿はスペイン風の住居にさまがわりを
してもなお、首都クスコはアンデス南部の
中心都市として繁栄を誇り、世界中の観光客
がおとずれる町となった。
1983年には町が世界文化遺産となった。

映像や展示物の分かりやすさに
時間を忘れてしまいますが
大変面白い展示でした。

アルパカはアンデスのラクダといわれていて
この地方の有名な動物です。
荷物も運びますし、その毛で織物も
作ってきました。

ふとコンドルは飛んでいくと言うメロディが
浮かびました・・・・ちょっと違うかもしれないけど。