久間大臣殿
歴史の認識が違うような気がします。
原爆投下は終戦の直接的な原因ではありません。
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1945年、5月に全面降伏か、それとも一国の崩壊かどちらかを選べとのポツダム宣言が日本に送られた。
当時断末魔の状況であっても、本土決戦、一億総玉砕、を掲げていた軍部は当然のこと無視をした。
日本の国土は、焼夷弾でやかれ、多くの国民が苦しみの中にいた。心ある指導者はひそかにソ連と連絡をとって、終戦の糸口をつかもうとしていたが、そのソ連がヤルタ会談のヤルタ協定にもとづいて、樺太を占領した。
ドイツの降伏が5月。その90日後に、対日参戦をして、樺太、北方領土をソ連のものとすることをアメリカと取り決めていた。
つまり、日本はソ連とアメリカと同時に戦わなければならなくなった。ソ連の南下は8月8日。久間大臣の出身地、長崎に原爆が投下されたのが、翌日9日。
日本にとって前門の虎 後門のおおかみである。
軍部と政府にとってポツダム宣言を受け入れたきっかけになったのは、ソ連の参戦だった。原子爆弾がどのようなものか、当時の軍部や政府がしっていたわけではない。知っていたら、広島の投下でポツダム宣言をうけいれるはずである。
その原爆が東京にふってきたらどうなるのか・・・と考えれば、竹やりで打ち落とせるものではないことぐらい、わかるはずだ。
悲しいかな・・・無知だったわけだ。
原爆ではなく、ソ連の参戦に驚いて、14日ポツダム宣言を受け入れ、15日の終戦となった。
よって原爆はアメリカにとって終戦をねらったわけではなく、来るソ連との冷戦にそなえて国力をみせつけるパフォーマンスだったとの見方もある。
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だから、「原爆投下はしょうがない」は、大失言になります。
謝罪しても、無駄です。
誰も信用しません。
大臣を辞めるべきです。
参考ページ8月9日付け「長崎から平和の発信を」
