2005年度の私立大学の中退者が5万5000人という。在籍学生中2.9%である。国立大学は1.6%というから、どういうことなんだろう?と疑問に思う。

高校の中退者の多いことは、聞いていた。中学と違って、勉強の内容が難しくなり、落第というシステムがある。

大学はそうでもないと思っていたのに、驚いた。

大学の先生方も大変とは思うが、大学のあり方を変える必要もあるのではないだろうか。

入学のレベルを上げると、入学する学生が減るかもしれない。わたしの娘も大学生だが、レポートの難しさにてこずっている。落第するな!と叱咤しながらの応援である。

勉強がいやならやめてもいいけど、何をするの?働く?

というと、これといってなにも技術も知識ももっていない娘は、あきらめて勉強をするしかない。

とにかく、落第するなと叱咤の毎日である。

私の頃は、勉強をやりたい学生が集まっていたと思う。なにもやることもないし、小さい時から大学へいくのは当然だと思っていたので、進学した。

ところが、○○を勉強したいと、夢と目標をもっている学生の多いこと。自分の姿勢を恥じたこともある。

いやでも社会へ出る。いやでも働いて、生活費をもらわなくては、生きられないのだ。

なんのために、今まで学校へいっていたのか。

ひとえに、生活を成り立たせるためである。自分のうでと頭に力をつけるのが目的である。それを社会に還元することによって、得ることの出来る満足感と経済的価値で自分のあるべき道の方向性を見極めるものである。

世の中少子化で多少あまくなっている風潮であるが、大学へ進学して、こんなはずではなかったと、ガッカリする前に、何をしたいのか?と学生は自問自答して欲しい。学生時代は、自由で楽しいものだと思っているかもしれないが、それも勉学をきちんとやったうえでのことである。

単位も取れないようでは、留年するしかない。一年間に払う学費は文系では、100万円はこえているはずである。そんな大金を払うのである。私立の大学へ行く諸君は、そのお金の値打ちをアルバイトをすることで知って欲しいものである。

社会勉強という言葉があるが、大学はそれが自由にできる時代でもある。発送の転換をしながら、前へ生きる生き方を見つけて欲しいと願いたい。