埼玉県、大阪府と相次いで中学生が自殺・・・なんと痛ましい、なんと悲しい。そして悔しい。北九州市では校長先生まで自殺・・。

この国はどうなっているのかと、疑問に思う。何とか止めれないものだろうか。興味深いニュースに大阪府が調査した指導録不足の教師の年令別は、50代が高くついで、40代という結果が出たという。

ベテランではありませんか!!!!

指導力不足の教師が多いのは小学校、ついで、中学、高校、とあがっていく。

なぜ???

このニュースの内容自体、理解できない。ある程度、手を離して自己責任を問える高校では、指導力は小学校や中学のそれとは違うものが必要だろうと思われる。

また、「小学校の先生」といっても、低学年と高学年では、指導する内容が違うし受け止める子供達のほうも全然違う。

特に5年生から、成長発展の途上で難しいものが現れてくる。子供たちの人間関係である。

このあたりで先生は、教材研究も大変だろうが、生活指導もかなり大変になる。また課外活動も多くなりその指導にもあたる。

我が母を思い出した。定年まじかの10年くらいは、低学年専門だった。大きい子を受け持っても3年生までだった。恐らく適材適所だったのだろう。

また母の友人の同じ教師をしている女性は、ぎゃくに高学年の受け持ちが多かった。これも適材適所だったと思った。

ある年、この女性がびっくりして我が家にやってきた。

何年ぶりかで低学年しかも一年生を持つという。大変だというのだ。持ち物の名前の記入から、教室の整理整頓まで教師が見ていかねばならない。

授業中、先生のほうに注意は集中しない。それを注意しても、また、別の子が・・・・である。「疲れた・・・」と感想を述べた。

音楽など、分からないと我が家にやってきて、教科書に載っている歌を教えて欲しいという。「5年生や6年生だったら、楽なんだけど」と愚痴った。小学校の先生は大変である。

この50代、40代が指導力不足というのは、体力的に無理が効かなくなっているということでは無いだろうか。また健康の不安もあるのではないだろうか。先生が先生として活躍できる年令は、限られているのではないだろうか。

先生を使い捨てをしないで、ある期間努めたら、充電期間を設ける必要がある気がする。先生が元気でまっすぐに前向きでない限り、学校での子供たちの環境も元気でまっすぐ前向きにはならないと思われる。

また、何十年も教師をやっていると、民間の社会環境から適応できない幼稚な人間性の「大人」が出来上がるらしい。あまりにも子供の目線に立ちすぎて、大人のポジションに帰れなくなったのでは、と考えたりした。

子供を守るためには、教師を守らねばと思う。履修問題で自殺した愛媛県の高校の校長先生、子供のいじめ問題で、自殺した北九州の校長先生。教師としても、最後を飾ることもなく、普段、子供達に話しているであろう、「・・・命は大切に」などという教育論を自ら否定した行為をするとは、子供対に対するうらぎりである。校長先生として、逃げの卑怯な最後である。(死者に鞭打つつもりはない)

そして、なにより、人間として自らの命を絶つとは、それまで生きてきた、数十年間積み重ねた人生という価値は、自殺のためにあったという、残念な結論を感じえずにはいられない。

自殺は、問題解決にはならない。