高校の履修もれ問題。学校の責任である。わかっているはずである。大学と違い、高校は、担任の教諭が責任を持って選択科目の履修の指導をしている。

受験科目とにらめっこをしながら、選択科目をきめるが、文科省の学習指導要綱と、受験科目の現実がかみ合わないともいえる。

が、受験中心に考えるのではなく、世界史と日本史のどっちを選択などというかたよった履修の仕方には問題がある。

また倫理は、受験科目として扱っている大学が少ないからと、故意に受けさせないでその分、受験科目の授業をとるのも、もちろんのこと問題である。

高校の予備校化は、親や子供たちの要求でもあるなどと、校長がしゃーしゃーというものではない。だったら、高校の存在は予備校に負けたのかということになる。

現実、有名大学、難関大学への合格は少子化時代といえども難しいし多くの受験生がそういった大学に集中する。

だからといって、履修しないでいいのか、ということだ。高校は予備校ではない。いくら受験指導をしたといっても、予備校ではないのだ。誇りを持って、受験科目になりにくい倫理や世界史をこってりとこれぞ高校教育という気持ちで指導して欲しい。

高校を卒業したら、それぞれ専門への道へいくのだから、人によってはそんな授業は、受けることもなくなる。

さて、問題は大学である。ひょっとしたら、履修不足で内申書も、履修したことにして卒業し、合格して入学した学生もいる・・・・のでは?という疑問があるに違いない。

今後の大学の調査があるのかないのか、その結果最悪の履修もれ学生の存在があった場合、・・・・どうなるのだろう?

子供達を守りきれない学校の無責任体質が、いじめ問題とともに噴出したことは、ますます子供たちの大人への不信感をぬぐえなくなるだろう。