「いじめ」は殺人の凶器と書いたことがある。
このいじめ事件もまさしく、凶器である。埼玉の中学校で、失神ゲームというのがあるらしい。深呼吸を何度かしたあと、胸を強打すると失神するという。そのまま放置すると死亡する場合もある。大変危険な行為であるのに、「ゲーム」とはどういうことだ!!「ゲーム」とは、「遊び」という意味は誰しも知っていることだ。遊びが凶器にあるとすれば、遊びさえも、禁止する必要がある。
失神した生徒は、不断から気が弱く、いじめの対象になっていた。数人の生徒が彼をトイレに呼び出し失神させた。
その後、よってたかって殴る蹴るなどをして、気をとりもどさせたというが、全治一週間の怪我である。埼玉県新座署は新座市立の中三の男子3人を傷害罪で逮捕した。
学校側は・・・・・・知ってて、ふざけているだけと認識していた・・・これこそふざけるな!!である。いじめを知ってて放置していたわけだ。男子生徒が無事で、いじめを訴え、警察沙汰のしたのが幸いした。
学校は治外法権ではない。恐喝や暴力事件がおきても、学校側の教育的な配慮を第一としていた。しかし恐喝や暴力は、りっぱな犯罪であるということを教えない学校や家庭は、みんなでやれば怖くないということなのだろうか?
もっと、警察沙汰を増やして、こうした危険な行為をした生徒は、逮捕補導にすべきである。
そして場所が学校であったことから学校の指導力不足と無責任と無能力の責任問題を追求するべきである。
知らなかったとか、把握していなかった、そんな報告は聞いてないとは、言わさないというのが、学校の再生化を書けた最後の切り札、PTAの出番である。
小学校時代と違って中学になると親は学校へ行く機会が極端に少なくなる。それで、楽になったと喜ぶのか、学校はどうなっているんだろう?と不安になるのか、ここが問題である。
学校が全く安全な場所であれば、楽になったと喜んでもいいかもしれないが、ぎゃくである。学校が一番危険な場所であるということが、認識されてきた今、親が学校へ行く機会が極端に少なくなったことに不安や疑問を感じるなら、もっと学校に出入りする機会を自分達でつくり、行動していくべきである。
参観日でもないのに、たまに親が、学校をうろうろしている、先生と話している、ひょんなところから顔を出して、声をかけられる。
私も、学級委員を引き受けた時、学校へ行く機会が増えたかもと、期待した。その期待は現実となって、PTAの会議室にいく場合、教室の前をとおっていくが、先生と生徒の休み時間のやりとりなんかを見たり聞いたりすることがあった。
参観日のとりすました先生や生徒の態度と違う普段の態度を見ることが出来た。その時の状況を娘に話して、盛り上がる話題になったりした。
先生任せでは、子供を守れない。
そのことを深く認識するべきである。
