御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落事故が21年目という。
21年前、私は13日に全日空機で実家に帰る予定だった。
なんだか、そんな大きな事故の後、飛行機に乗るのが恐かった思い出がある。
さまざまな人たちの人生を終わらせた事故だった。
その悲しみの最中、飛行機を利用してイギリスでテロ計画が発覚した。大西洋の上で機体を爆破するという計画だ。とんでもないと憤るものだ。
アルカイダの凶暴さ、残酷さは驚くほどである。
実行犯の中に19歳と17歳がいたという。
かつて日本が、戦争をしていた頃、やはり若い命が弾丸代わりに使われた。
その時代、教育で国民の命を「国のため」、「天皇陛下のため」といって盾に使ったのだ。国民がみんな死んでしまえば天皇陛下も日本国もあったものではない。
その時の指導者をA級戦犯というなら、それを祀っている靖国は、あってはならない施設である。
戦犯の定義づけはまちまちらしいが、A級といわれる戦争犯罪者の慰霊は、家族の元に返すのがいいのではないか。
国の英霊というけど、国を守るために命を盾にしたのは、兵隊にいった人ばかりではない。
国民ひとりひとりが、命を張って、国を守ったのだから靖国などという、わけの分からない施設を作ること自体、間違っている。
戦争で、亡くなった人も、生還された人も、みんな、「お国のため」「天皇陛下のため」に、戦った英雄であるはずである。
ともかくも、戦争はなかなかなくならない。
たとえば、北朝鮮がミサイルを日本に向けて打ってくる前に、そのミサイルを迎撃する装備をするとしたら、最低、日本の領土の中だけで行うべきである。
もう一歩踏み込んで、その国のミサイル基地にまでミサイルを撃ち込む法律を作ったならば、あっという間の戦争である。
日本は武器を持ってないからこそ、対話で平和外交をしなくてはならない。
だからこそ、やすやすと戦争が始まることが無いのだ。それは平和憲法に感謝するものだ。
悔しいかな、ミサイルや核兵器をチラつかせて、外交をやっていこうとする北朝鮮のような、やくざな国を相手にしなくてはならないのは、忍耐である。がまんである。
戦争は始めるにはたやすく、終わるには難しい。
その間に、無くなる尊い命がたくさんあることを考えると、このような悲劇はこれ以上ありえない。
日本の指導者は二度と国民の命を使って、国を守ろうなんて思ってはならない。
イスラエルとレバノンも、やったやられたという憎悪のいたちごっこで、
終わりなき憎悪のリングが出来上がっている。スタートも無ければゴールも無い戦争を、嘆きながらやるしかない.
そのために敵の標的になるのは軍事施設でもなければ、国家の中枢でもない。国民の生活の破壊である。
どれほど、相手の国の国民を殺し、町を破壊して行ったかというのが、戦争である。決して軍隊同士だけの戦いではない。
だから、終わるのが難しいのだ。
難しいからこそ、初めてはいけないと、訴えるものである。
