私の「三丁目の夕日」。

「公害」という言葉が流行ったのは、いつの日か。
日本が高度経済成長時代を迎えた頃からである。1955年以降ということか。

確かに、水俣病やイタイイタイ病など工場の廃液からでる化学物質が、人間の身体にはいって、病気を発生させた。

そんなことは、身近に無かったのでのんびりした状況をここに記すことになる。

我が家の前に、農業用の用水路があった。回りは田んぼだらけの町内だった。いまどき、梅雨から夏場・・・蛙の声でにぎやかな夜だった。蛍もとんでこの時期が一番綺麗な夜だったように思える。

用水路には、藻がしげり、川底には、大小の石が沈んでいた。水がさらさらと流れ、川を掘り返すと、なんと蜆がでてきたりする。

田んぼの水を取り入れる入り口には、もう一段低くなっていて、水が入りやすくなっている。いきおいよく田んぼに水が流れ込んでいくのがわかる。

その入り口には、かならずおたまじゃくしがいた。なかには、ウシガエルやヒキガエルのおたまじゃくしもいて、大きな頭をしていた。

まだ、道路はアスファルトなど、普及してなくて、かえるがよく道端まで飛んできていた。

ハスの花でいっぱいになる、公園の堀池にも夜になるとウシガエルのモーモーという鳴き声がひびいていた。

あたりまえの、風景だった。

毎年、めぐりくる  あたり前の風景だった。

蛍の光を追いかけて、そぉ~~っと両手で捕まえて、虫かごに入れた。

{後で知ったことだが、虫かごではなく、蛍はビンの中にいれて、一緒に草をちぎっていれるとよいという。川の水も少しいれると、2~3日は、生きている。虫かごにすると、水もなくなり干からびて蛍はすぐ死ぬ。}

夜になると、ビンの中の蛍が光りだす。幻想的できれいである。

あたり前の日本の夏の風景だった。

私は、農業用水路から水を汲んで、金魚の水をいれかえる作業を任されていた。

百貨店の屋上で売ってた、安い金魚は、こうして川の水で元気に何年も生きていた。

雨が降った日は、とてもきれいだと思って、金魚の水槽を庭においたこともある。

1964年ごろ・・・私の記憶ではあるが・・・・川の水はどうも汚染されているらしいと思うようになった。

おたまじゃくしがいなくなった。農薬の影響だろうか。蛍がいなくなった・・用水路を埋め立ててコンクリートの溝にしたためだろうか。

そして何年も、元気で生きていた金魚が・・・病気のようになり、体から白い幕のようなものを出していた。

苦しそうな様子を見ても、どうしてあげようもなかった。

次の朝、金魚鉢に、金魚の死体が浮いた。

水が悪かったのかな・・・・とも思ったが、当時あまり真剣に考えなかった。年齢的なものだったかもしれなかった。4~5年、買っていた最後の金魚はこうしてなくなった。

近づくと、だれか来たとわかって水の上に浮かんでくる、餌をやると元気に食べていた。

「沈黙の春」という作品がある。最初の数ページを読んで、読むのをやめた。環境汚染の恐ろしさを、そのタイトルからも見て取れるが、本編を読むとますます、恐ろしくなった。

公害という言葉が市民権をもち、独り歩きし始めた。一人歩きどころが、どんどん家族を増やして、地上に繁殖していった。

私達はその恐ろしさをじわじわと感じながらも、人工的な文化に支配されていった。三丁目の夕日はそのころ、沈んでしまった。