2002年度から実施されてきたゆとり教育。
その結果が疑わしくなって来ている。
OECDの教育の到達点度の世界ランキングで日本は数学が6位に転落、読解力は14位だった。科学は2位である。
これは何を意味するのか?
このところの少年犯罪の増加と凶悪化にも関わるかもしれない。
ものごとをおちついて考える力がないのかと、思う。
結果を急ぐあまり、また衝動的になって、犯罪を犯したりするのを見てそう思う。
学力は生きる力といった考えもある。
明治時代になって、職業選択の自由が与えられた日本には、清貧である学生が将来の夢を
学問にもとめる姿が文学や人物史などに多く見られる。
「青雲の志」は死語なんだろうか?←そのことばさえも知らないのだろうか?
学力低下の犯人はゆとり教育といわれるが、それは犯人の一人である。
教師の力不足もある。
物事は循環している。韓国、フィンランドなど成績上位国の教師は、4年制大学を出たから
なれるものではない。かなり難しいテストもあるという。
教師は尊敬される職業である。だからこそ、自分も教師になりたいと勉強に励む。よって優秀な生徒が
教師を目指す。
日本の子供達が、先生を「おい!」と友達のように呼ぶらしいが、先生がそれを善しとしているものおかしい。
先生と生徒の間にある尊敬と信頼関係が教育現場のあるべき基本形とすれば・・・・・
できていませんね・・・・・
いつの間にそうなったのか?
・・・・・・
京都では、同志社と立命館が、来年度から小学校を開学する。
その内容が新聞で報じられている。
教育のあるべき理想形をつくっていこうとしている。
あの百枡計算の陰山先生を立命館小学校がひきぬきをしたという。
もとより、公務員である陰山先生は人事の話として明らかにしていないが。
本来、公立教育が国の理想とする基本形の教育を施す場所といわれている。
いまや、逆転していないだろうか。
私学教育に日本の将来を託するような状況である。
資源のない日本。
なにごとも外国の資源に頼っている日本。
あるとすれば、教育という資源で人材確保が必要とされている日本。
この日本を、どう舵取りしていくのか?
内外に様々な問題を抱えるにあたって、二大政党であっては問題解決が出来ないのが教育といえないか。
各政党のマニフェストには、きれいなことばが並ぶ。例えば民主党はこうである。
※「総合的な「生きる力」を高める公教育改革・学校改革に着手します。学校運営に関する権限を基礎自治体及び学校現場に移譲し、学校長の公募制導入などを可能にします。教員の質と数の大幅アップ、保護者・地域ボランティアの参画による土曜学校、コミュニティースクール、地域立学校化を推進します。」
抽象的とさえいえる。
唯一現実味を感じさせられたのが、公明である。
※【「国は教育条件、内容の最低限の基準だけを定め、地域・学校が教育目標、教員人事、学級編成、カリキュラム等を自由に設定できるようにします】
それには小・中学校において、保護者、地域住民等が授業で教員をサポートする「教員サポーター制」(仮称)を導入します。また、教員評価を徹底するとともに、教員養成のための大学院を創設します。」
マニフェストは具体論が大事である。
そのための財源もしっかり明示するべきである。
自公の改革推進はそこから節税による予算の振り分けを可能にして、具体的にマニフェストを作成実現化と
している。
教育の改革を急げ!!わたしは、子供たちの未来を心配するがゆえに、構造改革の推進を支持する。
その結果が疑わしくなって来ている。
OECDの教育の到達点度の世界ランキングで日本は数学が6位に転落、読解力は14位だった。科学は2位である。
これは何を意味するのか?
このところの少年犯罪の増加と凶悪化にも関わるかもしれない。
ものごとをおちついて考える力がないのかと、思う。
結果を急ぐあまり、また衝動的になって、犯罪を犯したりするのを見てそう思う。
学力は生きる力といった考えもある。
明治時代になって、職業選択の自由が与えられた日本には、清貧である学生が将来の夢を
学問にもとめる姿が文学や人物史などに多く見られる。
「青雲の志」は死語なんだろうか?←そのことばさえも知らないのだろうか?
学力低下の犯人はゆとり教育といわれるが、それは犯人の一人である。
教師の力不足もある。
物事は循環している。韓国、フィンランドなど成績上位国の教師は、4年制大学を出たから
なれるものではない。かなり難しいテストもあるという。
教師は尊敬される職業である。だからこそ、自分も教師になりたいと勉強に励む。よって優秀な生徒が
教師を目指す。
日本の子供達が、先生を「おい!」と友達のように呼ぶらしいが、先生がそれを善しとしているものおかしい。
先生と生徒の間にある尊敬と信頼関係が教育現場のあるべき基本形とすれば・・・・・
できていませんね・・・・・
いつの間にそうなったのか?
・・・・・・
京都では、同志社と立命館が、来年度から小学校を開学する。
その内容が新聞で報じられている。
教育のあるべき理想形をつくっていこうとしている。
あの百枡計算の陰山先生を立命館小学校がひきぬきをしたという。
もとより、公務員である陰山先生は人事の話として明らかにしていないが。
本来、公立教育が国の理想とする基本形の教育を施す場所といわれている。
いまや、逆転していないだろうか。
私学教育に日本の将来を託するような状況である。
資源のない日本。
なにごとも外国の資源に頼っている日本。
あるとすれば、教育という資源で人材確保が必要とされている日本。
この日本を、どう舵取りしていくのか?
内外に様々な問題を抱えるにあたって、二大政党であっては問題解決が出来ないのが教育といえないか。
各政党のマニフェストには、きれいなことばが並ぶ。例えば民主党はこうである。
※「総合的な「生きる力」を高める公教育改革・学校改革に着手します。学校運営に関する権限を基礎自治体及び学校現場に移譲し、学校長の公募制導入などを可能にします。教員の質と数の大幅アップ、保護者・地域ボランティアの参画による土曜学校、コミュニティースクール、地域立学校化を推進します。」
抽象的とさえいえる。
唯一現実味を感じさせられたのが、公明である。
※【「国は教育条件、内容の最低限の基準だけを定め、地域・学校が教育目標、教員人事、学級編成、カリキュラム等を自由に設定できるようにします】
それには小・中学校において、保護者、地域住民等が授業で教員をサポートする「教員サポーター制」(仮称)を導入します。また、教員評価を徹底するとともに、教員養成のための大学院を創設します。」
マニフェストは具体論が大事である。
そのための財源もしっかり明示するべきである。
自公の改革推進はそこから節税による予算の振り分けを可能にして、具体的にマニフェストを作成実現化と
している。
教育の改革を急げ!!わたしは、子供たちの未来を心配するがゆえに、構造改革の推進を支持する。
