駒大苫小牧高校の甲子園での優勝とその後の事件発覚について。
北海道新聞にこのような記事が出た。
部長がまだ謝罪をしていないという。これだけ大きな事件にしてしまって反省もしてないのかと、驚いた。
6月2日と大会中の7日に暴力を受けたというが、もっと詳しく報道していないのかと思って、地元新聞を
ネットで探した。
我が家も高校野球には興味があり、甲子園大会も大変熱心にゲームを見た。
同校は、出場が決まった時から去年の優勝校で、そのプレッシャーが大きかった事や
それを跳ね除けてのチームがまとまってがんばった結果という勲章をもって甲子園にやってきた。
そして、どんどん勝ち進んでいくのをみて、かつて、北海道のチームはややレベルが低いという認識を
もっていたのが、見事覆された。
北海道の学校も強い!と、改めて思い知らされたのだった。
あらたな伝統校としてその名前を、刻んだ同校であるが、この暴力事件発覚に対して残念というか
憤りを感じる。
悪いことは悪いと、なぜ認める潔さと勇気を持たないのか。
甲子園の球児たちがあまりにも、純粋にひたむきに試合をした姿をみたがゆえに、よけい腹が立つ。
校長も、部長も、監督も、何を考えて指導しているのだと・・・・・・
すべて売名行為のため、学校のプライドを保つために、揉み消しをもくろんだ・・・らしい。
また、暴力を振るったのは生徒じゃなくて先生なんだし、教育的な体罰ということでいいのでは・・・・という
思いあがりがあったのではないか。
明徳義塾は生徒の喫煙だったから、直接の部員の不祥事であったわけだ。
苫小牧の場合はそうじゃないというおごりがあったのではないか。
高野連はきびしいというが、アマチュア精神からいえば、この程度の指導や措置はきびしくはない。
体育会系は暴力など指導のうちという信じられない精神論が存在するが、 暴力と指導は全く違う。
愛のむちなら、先生から生徒に伝わるはずであって、それが訴えられるものであれば、 暴力行為だったわけだ。
この先生の、いまだに反省もない態度にも驚かされる。
学校側の、それでも生徒とその親御さんの訴えに対して、遠慮してモノをいってもらいたいとの申し込みも
あきれ果てる。
優勝した子供達がかわいそうだなんて、そんな情けに流されてはいけない。
この時こそ、暴力を排除するという高野連のモットーを、貫くチャンスである。
優勝したら、罪は割引されるわけではない、それ以上に責任を取らされるという、「前例」を
きちんとつくるべきである。
野球がすきで、クラブ活動をする生徒達も大切にして欲しい。
例えレギュラーになれずに、3年生でもたまひろいであったとしても、楽しい青春の思い出なのである。
あのときの優勝チームと一緒にがんばったんだという、自慢話を孫の代まで話ことができるのである。
そんな大事なひとときでもあり、レギュラーになれなかってもがんばる3年生の部員さんのほうが多いはずだからこそ、この事件の後始末はきびしくするべであると訴えたい。
北海道新聞にこのような記事が出た。
部長がまだ謝罪をしていないという。これだけ大きな事件にしてしまって反省もしてないのかと、驚いた。
6月2日と大会中の7日に暴力を受けたというが、もっと詳しく報道していないのかと思って、地元新聞を
ネットで探した。
我が家も高校野球には興味があり、甲子園大会も大変熱心にゲームを見た。
同校は、出場が決まった時から去年の優勝校で、そのプレッシャーが大きかった事や
それを跳ね除けてのチームがまとまってがんばった結果という勲章をもって甲子園にやってきた。
そして、どんどん勝ち進んでいくのをみて、かつて、北海道のチームはややレベルが低いという認識を
もっていたのが、見事覆された。
北海道の学校も強い!と、改めて思い知らされたのだった。
あらたな伝統校としてその名前を、刻んだ同校であるが、この暴力事件発覚に対して残念というか
憤りを感じる。
悪いことは悪いと、なぜ認める潔さと勇気を持たないのか。
甲子園の球児たちがあまりにも、純粋にひたむきに試合をした姿をみたがゆえに、よけい腹が立つ。
校長も、部長も、監督も、何を考えて指導しているのだと・・・・・・
すべて売名行為のため、学校のプライドを保つために、揉み消しをもくろんだ・・・らしい。
また、暴力を振るったのは生徒じゃなくて先生なんだし、教育的な体罰ということでいいのでは・・・・という
思いあがりがあったのではないか。
明徳義塾は生徒の喫煙だったから、直接の部員の不祥事であったわけだ。
苫小牧の場合はそうじゃないというおごりがあったのではないか。
高野連はきびしいというが、アマチュア精神からいえば、この程度の指導や措置はきびしくはない。
体育会系は暴力など指導のうちという信じられない精神論が存在するが、 暴力と指導は全く違う。
愛のむちなら、先生から生徒に伝わるはずであって、それが訴えられるものであれば、 暴力行為だったわけだ。
この先生の、いまだに反省もない態度にも驚かされる。
学校側の、それでも生徒とその親御さんの訴えに対して、遠慮してモノをいってもらいたいとの申し込みも
あきれ果てる。
優勝した子供達がかわいそうだなんて、そんな情けに流されてはいけない。
この時こそ、暴力を排除するという高野連のモットーを、貫くチャンスである。
優勝したら、罪は割引されるわけではない、それ以上に責任を取らされるという、「前例」を
きちんとつくるべきである。
野球がすきで、クラブ活動をする生徒達も大切にして欲しい。
例えレギュラーになれずに、3年生でもたまひろいであったとしても、楽しい青春の思い出なのである。
あのときの優勝チームと一緒にがんばったんだという、自慢話を孫の代まで話ことができるのである。
そんな大事なひとときでもあり、レギュラーになれなかってもがんばる3年生の部員さんのほうが多いはずだからこそ、この事件の後始末はきびしくするべであると訴えたい。
