テレビで「がんばっていきまっしょい」をはじめてみた。
原作を読んでいたので、見ながら「ん??」「あれ??」が多かった。
ま、しかたがない。テレビになるとまた脚色もするだろうけど、原作のよさを損なわないで
欲しいと願う。
よさとは、その時代の高校生グラフィティであろう。
不可能の存在を認めない、既成の人生観で満足しない・・可能性の追求というキラキラした輝き・・・
この時代ならではの光がある・・・はず、と思ったが。
ま、難しい話はやめておこう。
テレビ版をみたストレートな感想としては、「がっかり」であった。
ことばが難しいのだろう。
方言である。間の取り方が、間延びしている~~そうじゃないのでは?と思った。
出演者である彼らにとって、田舎の高校生を演じるにはことばを含めて全てが難しかったのだろうと思う。
「坂の上の雲」の司馬遼太郎氏がその作品中で、「由来、伊予ことばというのは日本でもっとも悠長なことばであるとされている」と述べている。
作品中で主人公が赤ん坊のころ寺へやられるという場面でその幼い兄は両親にいう。
「あのな、そら、いけんぞな」
「あのな、お父さん、赤ん坊をお寺へやってはいやぞな。おっつけウチガ勉強してな、お豆腐ほどお金をこしらえてあげるぞな」・・・
(上り坂を、うんうんいいながら登る古い自転車の速度で読んでください)
※「お豆腐ほど」というのは、藩札を積み上げたら豆腐の暑さと同じという意味
NHKのニュースを標準語としてあの速度になれている、もしくはそれ以上の速度で話すのに慣れているわれわれの時代に、本物の伊予弁は、そんざいしない。
が、今の伊予弁はそれでも悠長なのである。その台詞回しが・・・出来ていないから、「がっかり」したのである。
子供のころ、坊ちゃんをドラマ化した番組が好きだった。
スペシャル番組とやらで、みていた。うんと古い記憶では、俳優さんがよく練習したなと思うほど上手にしゃべっていた。
台詞回しが、上手であった。
だんだん、時代が新しくなればなるほど、脚色も変わってきて、とってつけたような伊予弁である。
ちがうなぁ~~~~~~~~
わたしは、ちゃんとした伊予弁は使えないが、聞き分ける事は出来ると自負している。
テレビ化されて嬉しかったのは、ロケである。地元がでるとうれしい。
特に、瀬戸内海の海は、なつかしいものである。
私の記憶のすみっこに、海の上をボートが走っている場面がある。港山の艇庫とは、あそこだったかな?と
思い出している。
それとは別に、海に泳ぎにいって、ボートを借りて乗ったこともある。
普通の、3人から4人のりのボートである。
梅津寺の沖はよく船が通る。
港と港の間にあるからだ。目の前にフェリーが現れたこともある。
面舵だか取り舵だかしらないが、方向転換をして事なきを得た事もある。中からクルーがあっちへいけ!と
腕を回して追い払うようしていた。
船が去ると大きなうねりが来る。三角波というが、それをボートの横腹でうけると、転覆する。私は泳げるが、足の立たないところは、苦手である。それで、波に直角にボートの頭を向ける。
そんなことも思い出した。
このドラマは記憶の片隅で風化しそうになっていた思い出を、よみがえらしてくれた。
原作はなかなか、手放せない一書になった。
原作を読んでいたので、見ながら「ん??」「あれ??」が多かった。
ま、しかたがない。テレビになるとまた脚色もするだろうけど、原作のよさを損なわないで
欲しいと願う。
よさとは、その時代の高校生グラフィティであろう。
不可能の存在を認めない、既成の人生観で満足しない・・可能性の追求というキラキラした輝き・・・
この時代ならではの光がある・・・はず、と思ったが。
ま、難しい話はやめておこう。
テレビ版をみたストレートな感想としては、「がっかり」であった。
ことばが難しいのだろう。
方言である。間の取り方が、間延びしている~~そうじゃないのでは?と思った。
出演者である彼らにとって、田舎の高校生を演じるにはことばを含めて全てが難しかったのだろうと思う。
「坂の上の雲」の司馬遼太郎氏がその作品中で、「由来、伊予ことばというのは日本でもっとも悠長なことばであるとされている」と述べている。
作品中で主人公が赤ん坊のころ寺へやられるという場面でその幼い兄は両親にいう。
「あのな、そら、いけんぞな」
「あのな、お父さん、赤ん坊をお寺へやってはいやぞな。おっつけウチガ勉強してな、お豆腐ほどお金をこしらえてあげるぞな」・・・
(上り坂を、うんうんいいながら登る古い自転車の速度で読んでください)
※「お豆腐ほど」というのは、藩札を積み上げたら豆腐の暑さと同じという意味
NHKのニュースを標準語としてあの速度になれている、もしくはそれ以上の速度で話すのに慣れているわれわれの時代に、本物の伊予弁は、そんざいしない。
が、今の伊予弁はそれでも悠長なのである。その台詞回しが・・・出来ていないから、「がっかり」したのである。
子供のころ、坊ちゃんをドラマ化した番組が好きだった。
スペシャル番組とやらで、みていた。うんと古い記憶では、俳優さんがよく練習したなと思うほど上手にしゃべっていた。
台詞回しが、上手であった。
だんだん、時代が新しくなればなるほど、脚色も変わってきて、とってつけたような伊予弁である。
ちがうなぁ~~~~~~~~
わたしは、ちゃんとした伊予弁は使えないが、聞き分ける事は出来ると自負している。
テレビ化されて嬉しかったのは、ロケである。地元がでるとうれしい。
特に、瀬戸内海の海は、なつかしいものである。
私の記憶のすみっこに、海の上をボートが走っている場面がある。港山の艇庫とは、あそこだったかな?と
思い出している。
それとは別に、海に泳ぎにいって、ボートを借りて乗ったこともある。
普通の、3人から4人のりのボートである。
梅津寺の沖はよく船が通る。
港と港の間にあるからだ。目の前にフェリーが現れたこともある。
面舵だか取り舵だかしらないが、方向転換をして事なきを得た事もある。中からクルーがあっちへいけ!と
腕を回して追い払うようしていた。
船が去ると大きなうねりが来る。三角波というが、それをボートの横腹でうけると、転覆する。私は泳げるが、足の立たないところは、苦手である。それで、波に直角にボートの頭を向ける。
そんなことも思い出した。
このドラマは記憶の片隅で風化しそうになっていた思い出を、よみがえらしてくれた。
原作はなかなか、手放せない一書になった。
