教科書問題は中国などに注意される事以前に国内でも、歴史認識(特に近代史の記述)のレベルで論議されている。
干渉されなくても、日本国内では、ちゃんと問題としてとらえている。

といっても、そんなことは、彼等中国人にとって知った事じゃないかもしれない。

南京大虐殺はなかったという政治家もいれば、あったという歴史家もいる。
それも、学者レベルでの研究の成果を問われている問題だ。
学問も、研究だけではなく、意見交換も真実をさぐる大事な方法である。

民主主義の原点は話し合いだ。

日本は民主主義の国だ。思想や信条や宗教の自由がある。

よって、虐殺の有無~の論争もあるのだ。

それを国が「あった」と、決めなければ、日本は認めたことにならないというのなら~~あまりにも日本を理解してないと思ってしまう。

日本のような自由思想の国は、たとえば小泉総理をみて日本人全体がそうなんだと、思うこと自体~~
間違っている事になる。

靖国神社、総理大臣の公的参拝を、批判する日本人もいるし~~認める日本人もいる。
複雑な日本を理解するには、かなり長い時間をかけて、お付き合いするしかない。
それが、民間外交である。

国の制度が違いすぎる国とのお付き合いは、政治家同士では~~理解されにくい~~
というか理解できないものだ。

これ(反日暴動)に懲りず、民間外交をやっている団体は、この時期を忍耐で乗り越えてほしい。
歴史は繰り返すといって、かつてわれわれの祖父母やそれ以前の方々が中国人をチャンコロと呼んで
馬鹿にして差別した歴史がある。それを繰り返してはいけない。

わたしも、そういうものの、この暴動を見て、中国人を愚かしく思った。
ついつい、チャンコロと、呼びたくなる!!

が、忍耐である。
『相互理解には忍耐の対話』しかない。
アジアの英知は、そう語っている。