言われる度、心がチクチクしたり、お腹が熱くなりました。
特に父はそういった表現をよく用いました。しかしそれは大抵、わたしの行動の過程においてのほんの一部分をみたものであって、全くもってわたしの本質ではなかったし、おそらくみるつもりもなかったんだと思います。父は感情的な人で、喜怒哀楽がとても激しく、さっきまで大声で笑っていたかと思うと急に怒り出すことがよくありました。わたしの何かが勘に触ったことはわかるのですが、感情的に怒鳴り散らす父をみていても一体何に対してそんなに激怒しているのかがわからないことも多く、ただひたすら恐怖と悲しみに耐えなければならないことも少なくありませんでした。
わたしを褒めてくれる時も、本当のわたしとはかけ離れていたり、全く事実と反していることがほとんどでしたし、嬉しいという感情はなく、ただただ居心地の悪い、ばつが悪いような思いしかありませんでした。今では、父は父自身にしか興味がない人だということがわかってきたのですが、幼少時はなぜ父との会話が噛み合わないのかわからず、自分を責めていました。父の勘に触らないように、会話をする際は神経を張り巡らせていて、常に父の話に興味があるように演じたり、時には道化を演じて父に華をもたせたり、今わたしはどういったことを要求されているのかを常に考えていました。
わたしは、父親っ子だと言われ続けて育ちました。多分、兄の次に生まれた第二子の長女だったので、そういう風な子供でいて欲しいという父の願望だったのだと思います。しかし、本当のところは、わたしは家族の中では父が一番苦手でしたし、最も緊張を強いられる存在であったと思います。それなのに周囲に「フミちゃんはほんとに父親っ子だね」「お父さんと仲がいいね」などと言われ続けてきたのは、わたしが周囲が望む父親っ子を演じていたからだと思います。
頑張れば頑張るほど、父とチグハグな会話をかわす度、わたしはたまらない気持ちになりました。耳を塞いで大声で叫び出したくなりました。
わたしは父にとって、想像の中の産物のような存在だったのだと思います。彼にとっては"父親である自分"が全てであって、わたしがどういう人間なのか、何を思い、感じているのかということには全く興味がなかったんだと思います。
兄は文武両道の鏡のような人物でわたしの自慢でしたし、わたしは兄がとても好きでした。そして5歳下の妹は母にいつも「赤ちゃん」と呼ばれていました。今はわたしの大親友である妹のことを、当時はとても疎ましく思っていました。母を独占している妹なんていなくなればいいのにというようなことを常に思っていました。
そんな家族構成な中で、わたしはいつも"今なにを必要とされているか"ということを考えて行動していたことに改めて気が付きました。
完璧主義な兄に対してちょっとドジな妹。世話好きな兄に対して無責任に振る舞う妹。そんな二人をみて両親は兄を褒め讃え、けれどわたしにも笑いながらまったくフミちゃんは。。と満更でもない笑顔を向けてくれました。わたしはそれをみると安心しました。
時には家族を笑わせるためにわざと転んでみせたり、眠ったふりをしたり、ゲームに負けてみせたりしました。
祖母の家にしばらく預けられる際は、寂しそうにする兄の傍で神経が図太いわたしを演じていました。平気なふりをして、両親と兄を励ましました。しかし本当はトイレで泣いていたし、毎晩布団の中で声を押し殺して泣いていました。でもそんな自分は絶対にみせてはならないと子供ながらに必死に演技していました。
これらは決して、自分の素行の悪さを言い訳しているわけでもなく、感傷に浸っているわけでもありません。こうやって振り返るまで全く気付かなかったことばかりなのですが、わたしは家族の一員として、常に求められる自分を演じていたのでした。そうすることで、自分の居場所のようなものを確保すると同時に、そうしなければ愛してもらえないと無意識に感じていたのだと思います。
それらは長い年月をかけてわたしに、無償の愛ではなく、条件付きでなければ愛されないというプログラムをインプットしてしまったのです。。。