カーチェイスの末の男の態度
とりわけ屈強な男性スタッフの多い番組制作スポーツ部の10名ほどと作戦を練った。生放送のその日も、男は必ず来る。私はあえてテレビ局に近い道路を走る。局員たちは私の連絡があればすぐ発進できるようエンジンをかけて待機する。複数の車で挟み撃ちにして進路と退路を塞ぎ、男を掴まえる計画を立てた。携帯電話が普及し運転中の通話が禁止される前の時代だ。
想定通り、放送後、男は私につきまとった。私は局員に「今」と電話した。局員の車が同時に何台も急発進した。異変を察知したストーカーは予想を上回る行動に出た。急ハンドルで反対車線に柵越えで逃げたのだ。柵に車体が激突する音が響いた。誰もが大胆な違法運転を見送るしかなかった。
私も柵を乗り越えた。男を今度は私が追った。男はアクセルを一番下まで踏み込んでいるはず。私も一番下まで踏み込んだ。男を追いかけている間、その男にやられた嫌がらせの数々が脳裏をよぎった。
「彼らのずるさ、卑劣さ、あきれるばかりの幼児性、妄想癖、身勝手、孤独、寂しさ、愛への強い欲求、劣等感、人一倍のプライド、傷つきやすさ、恨み、残虐さが私の興味をひいた」(荒木創造『ストーカーの心理』)
男の車は国産だった。たまたま外車の私はアクセルを一番下まで踏み込むと男に追いつけた。そして男の車を追い越した。十分に追い越した直後、急ハンドルを切って男に向かい再び逆走した。男の車に激突した。男の車は壊れ、止まった。
“その瞬間”を経験した者でないとわからない、というのはそういうことだ。
死ぬか生きるかはその瞬間には頭にない。怪我をするかどうかもない。頭にあるのは「許さない」という感情。走行中の車同士がぶつかるのだから顔を傷つける可能性もあったが、“その瞬間”は、どうだってよかった。
青ざめて駆けつけた局員たちが男を車から引きずり出した。虚弱な体格の小さな男。男は「ひいいいい」と言いながら、私にではなく屈強な男性スタッフたちに謝った。
「すみませんでした。悪気はなかったんです。もう二度としません。ごめんなさい。ごめんなさい。二度としませんから。本当にすみません。ひいいいい」
何度も頭を下げた。男が私に見せてきたニタニタとほくそ笑んだ狡猾な表情は消えていた。局員たちは呆然と男の様子を見、立ち尽くしていた。あれほど大胆なことをしでかすやつが捕まえてみればこれほど虚弱だったとは。誰も声を発しなかった。アドレナリンの持って行き場がなくなると、人は思考停止した。
「免許証を出させて」と私はスタッフに指示した。免許証を素直に渡す男。ペコペコ頭を下げながら憐れな弱者に豹変する男。私と保安課の警察官には見慣れたタイプ。
だが、局員たちには初体験だ。
免許証をチラと見た男性スタッフは、謝り続ける弱者に対し、免許証を返しながら言った。
「もう、二度としたらあかんぞ。今日はこれで許したる」
私は男の「しめた」という瞬時の目の輝きを見た。筋肉のある男性には見えない“強い者には弱く。弱い者には徹底して卑劣に”という生き方。舐められた者にしか見えない目の輝き。「免許証を返しちゃだめ。免許証をすべて書き控え、男の住所も自宅の電話番号もすべて聞き出して。車のナンバーも控えて」と声をあげた。