FBより
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「マサフミという少年」


よく薬物の専門家たちは「真面目な子ほど、薬物を真面目に使って死んでいく。

心に傷がある者ほど、その傷を埋めるために必死に使って死んでいく」と言います。

マサフミもそんな少年でした。

マサフミがいなかったら僕は薬物と闘っていなかっただろうし、ある意味では幸せだったかもしれない。


彼は高校生の入学生にもシンナーを吸ってくるほどの依存症で、僕が夜回りで見つけた時も、夜の公園で空き缶を使ってシンナーを吸っていました。

なぜか最初から気が合って、その日、空が明るくなるまで語り合っていました。

彼は幼い頃に暴力団抗争で父を亡くし、以来母親と2人で6畳1間、風呂なし、トイレ共同の木造アパートに住み、貧しいながら幸せに暮らしていました。
 
母親思いでね、小学校の時は学級委員をやるほど真面目で優秀だったそうです。


ところが、5年生の時、母親が過労で寝たきりになり、生活が一変してしまう。

電話、電気、ガスは止められ、食べ物にも困るようになった。
 
マサフミはコンビニを1軒1軒回り、「僕の家は貧しいから、捨てるお弁当をください」と頼んで歩いたそうです。

ほとんどが「余ったお弁当は業者に戻さなければならない」と断る中、遠くの町にある1軒だけが、

「弁当を戻すのは午前2時だよ。

そんなに遅くに来られるかい?」と言ってくれた。

その日から午前零時に家を出て、捨てる弁当を貰いに行きました。
 
しかし、親子2人、当然弁当1つでは身が持ちません。

マサフミは給食のおばさんに「公園の犬に餌をやるから」と嘘をついて、余ったパンと牛乳をもらうことにしました。
 
ところが、子どもたちは敏感です。

彼が給食の余りをもらっていることはすぐに同級生に知れ渡り、それから猛烈ないじめが始まった。
 
 
一番辛かったのは、帰り道に公園に連れていかれ、せっかくもらったパンを地面にばらまかせ、ことごとく踏みつけられた時だったとは言っていましたね。



そんな状況を見かねて助けてくれたのが、同じアパートに住む暴走族でした。

暴力で同級生たちを抑え込み、マサフミは6年生からその仲間となった。

母親は「息子が暴走族になったのは自分が病に倒れ、貧しい暮らしをさせたせいだ」と自分を責め、自分を責める母親を見るとマサフミはますます辛くなった。
 
そこから逃れるためにシンナーに手を染めていったのです。

公園で会った次の日、学校へ来たマサフミは僕の顔を見るなりこう言いました。

「先生、俺シンナーやめるよ。

昨日からいろいろやめ方を考えたんだけど、いい方法を思いついた。

先生と一緒に暮らしたら吸えないよな」

「そうだな。

いいよ、今日から家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、

「もうシンナーやめれれた。

母ちゃんが心配だから家に帰るよ」と言って帰っていく。
 
しかし、2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、

「俺、また使っちゃったよ。

体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた・・・。

先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、きょうから家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、

「もうシンナーやめられた。

母ちゃんが心配だから家に帰るよ」と言って帰っていく。

しかし2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、

「俺、また使っちゃったよ。

体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた・・・。

先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、しょうがないよ。

また明日から家に来い。

焼き肉してやるよ」

そしてまた僕の家に来る、その繰り返しでした。

 
6月も下旬を過ぎた頃、授業を終えて教室に戻ると、マサフミが新聞の切り抜きを持って待っていました。

「俺、やっぱり先生じゃシンナーやめられない。

この新聞に載っている『神奈川県立精神医療センターせりがや病院』ってところは、シンナーや覚せい剤をやっている10代の子を治してくれるんだって。

連れて行ってよ」

僕はカチンときました。
 
こんなにしてやっているのに、俺じゃダメだって言うのか、そう思うと、腹が立って仕方がなかった。

だから、その日僕は冷たかった。

「分かった。

連れていってやるよ。

でも今週は忙しいから来週だ」

そう答えると、マサフミは「きょう先生の家に行っていい?行っていい?」とまとわりついてきました。
 
でも僕は、その日は一緒にいたくなかった、だから嘘を言いました。

「ダメだ。

きょうは神奈川県警と山下公園の公開パトロールをするから、おまえを連れていけない」

そう言って、夜10時頃、彼を騙して追い返したんです。

マサフミはエレベーターホールへ向かって歩きながら、何度も何度も僕を振り返って、最後に一言叫びました。


「水谷先生ーっ、冷てぇぞ!!」


それが最後の言葉で僕はあのまま帰せば雅文が「さよならシンナー」をやることは分かっていました。

友達に「俺、今度こそシンナーやめる。月曜日に病院に行くんだ」と言うと、「じゃあ最後に“さよならシンナー”やるべ」となることは予測できていたんです。

それでも僕は騙して彼を帰した・・・。



僕と別れて4時間後、6月25日の午前2時、マサフミはシンナーを吸って、フラフラと道路に飛び出し、ダンプカーに轢かれて即死しました。

シンナーの幻覚で、ライトが何かキラキラしたきれいなものにでも見えたんでしょう。

両手でつかむように飛び込んでいったといいます。



マサフミは僕が殺した最初の子です。

僕はもう教員なんてやる資格はないと思いましたね。

学校を辞める決意をして身辺整理をしていましたが、その時、あの日マサフミが持ってきた新聞の切り抜きが出てきた。

気持ちの整理をつける意味でも、彼を連れていく予定だった、「せりがや病院」の院長を訪ねました。



そこで院長に言われた言葉を、僕は一生忘れることができません。

「水谷さん、彼を殺したのは君だよ。

シンナーや覚せい剤は簡単にやめることはできない。

それは“依存症”という病気だからだ。

それをあなたは愛の力で治そうとした。

高熱で苦しむ生徒を、愛情込めて抱きしめたら熱が下がりますか?

『おまえの根性がたるんでいるからだ』と叱って下がりますか?

病気を治すのは、私たち医者の仕事です。

無理をしましたね」

返す言葉がなかったですね。

そんな僕にさらに院長は続けました。

「あなたは正直な人だから学校を辞めようとしているのかもしれない。

辞めないでください。

いま薬物が若者の間で急速に広がっているのに、それに取り組む教員が1人もいない。

われわれと一緒に戦いましょう。」




子どもたちは花の種です。

でもその花は決して夜の世界では咲かない。

温かい太陽の下でしか花を開かせることができないのです。

昼の世界が優しくして、自己を認めてくれて、受け入れてくれるならば、どの子が夜の世界へ行きたいか。

どの子がリストカットをするか。
 
本当はどの子も夜は温かい家で、優しさに包まれて、安心して眠りたいのです。

それを用意するのがわれわれ大人の仕事です。

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子どもを優しく認め受け入れる。

これが必要なのですね。

確かに依存症は、愛の力だけでは救われません。

でも、依存症という病気は治せても、愛の力がなければ、子どもは、安心できないんですね。

愛の力の重要性を改めて教えられました。

ぜひとも、これからできるだけ愛の力を使って行きたいものです。


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