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alicedyn の非日常的な日常

おかしな生き方をしてきた、おかしなalicedynが、おかしな文章を書く場所です。
不定期更新・文脈にまとまりなし。
※初期設定としてコメント可としますが、不具合あれば制限いたします。

17日は息子の誕生日。
もうすっかり大人っぽくなって、プレゼントにおもちゃを買うこともなくなったなぁ…。
ケーキも作らなくなって、お店で買ってきた。

雨が降ってたんだけど、遅くなってから激しくなって、窓ガラスがカツカツカツ...?!
雪が降ってきた!
実は息子が生まれた時も初雪だったんだ。
生まれてすぐ、先天性の心臓病で保育器入りしたり、帝王切開の途中で私の麻酔が切れたり、初めての出産はそれはそれはサプライズの連続。

ホントにあっという間の出来事。
喧嘩もするけど、まだ一緒におしゃべりしたり、歌ったりしてくれるから、まだ親バカでいられるかなぁ?

いやぁ、選挙です。

この話を書く前に、大変偏ったalicedynの極左右論をしておきたかったですね。

とりあえず、今騒がれている選挙がとりわけ気持ち悪いものなので、日々ネタとして書いておこうと思います。

 

まず、alicedynは選挙が来ると浮かれます。

なぜなら、お仕事に選挙バブルが発生することがあるからです。

今回はどうでしょうかねぇ…。あと数日楽しみに待っている事にします。

 

そして、今回は速攻である政党の応援電話がかかってきました。以前から熱心に自宅を訪ねてきたりお手紙を頂いたりしている政党です。

alicedynは長年応援している政党ですが、ここ数年は「どないした?」と思う事多し。しかし、今回は若干正気を取り戻した発言が見られるので、電話ではその旨お伝えしつつも…

 

「おたくの○○さん、こないだ街頭演説やってたけどね、あれはイカンですよ。

学校の統廃合の話をされてたけどねー、事実と異なる発言をしちょる。ちょっと調べてくれれば分かる話だから、ちゃんとしてくれないと困るねー。うん。

いやね、自分、その会議に初回から出てるからねー。御党の主張と異なるのは否定しませんよ?ええ。

ですからね?いいですか?御党の主張はごもっとも!もちろんそうなれば素晴らしい事です。

ですからね?御党には是非とも頑張っていただいて、今の仕組みを変えてくださいよ。そのためにも応援いたしますよ。

今回は残念ながらそれができないままの統廃合ですからね。

いえね、もちろん御党の主張にまでは届きませんけどね、今までのお役所仕事ってぇのはいただけないので、私も市教委に色々言いましてね、随分変えてもらってるんですよ。ですからですね、先日の演説で言われてた事はかなり異なる点があったものですからねぇ。

ええ、これからも応援しますよ。○○さんにもその旨お伝えいただいて、ええ、ちゃんとしていただければいいんです。応援してますから。」

 

私何者なんでしょうかね?私自身に権力はありませんが、権力ある所と繋がりすぎましたね。(肩書きは市委嘱と市教委委嘱なんだよっ♪)ま、今後の街頭演説が楽しみでやんす。

ちなみに、高校生の子供がいるかと聞かれました。うちはまだ年齢が達しないけれど、日頃から政治の話をよくします。聞けば息子の学校でも「模擬選挙」を3年生対象に行ったんだとか。

でもねぇ、今回ばかりは高校生が可哀想だわ。混沌すぎるもの。

息子はTVニュースを見ながら、「ママ?いつもの党に入れるの、すっごく悩んでるでしょ?」はい。悩ましいです。だって気持ち悪いほど正体不明な選挙なんですもの。極左右と言われる私だって、今回は???ってなりますがな。「ママが分からないなら、僕もっと分からないよぅ。教えてね~?」可愛いでしょ♪(違

 

マスメディアにも物申したいけど、きっと止まらないから、今日はここまで。また思うところあれば書いてみようかな。

見えないお友達よりこっちを先にすべきだった…と思ったので勢いあるうちに書き始めましょう。

「alicedynができるまで」

私がどうしてこんなおかしな人になったのかってのを読めば分かるようにしておきましょうってテーマにします。

 

生まれた時は普通だったと思うんです。

若い両親、父方の祖父、母方の祖父母と一緒に暮らし、とっても愛されておりました。2歳頃住んでいたアパートの間取りを今でもハッキリと覚えています。何をして遊んでいたかとか、何を食べたいとゴネたとか、どうでも良いことをかなり鮮明に思い出せるのです。当時のアルバムを見ても、私とその周りは笑顔でいっぱいです。

 

今思うと、1つ妙な事がありました。

父方の祖父を「おじいちゃん」と呼ぶ一方で、母方の祖父母を「おとうさん・おかあさん」と呼んでいたのです。当時母方の祖父母は30代。そりゃ、じーばーは酷な話です。誰がそうしろと言ったのかは既に分からないのですが、かくして「私・パパ・ママ・おとうさん・おかあさん・おじいちゃん」の家族構成でした。子供なので素直にそのまま言って、周りの方を混乱させたものです。子供ながらに説明して理解していただいておりました。

 

若い両親と母方の祖父母は働いており、おじいちゃんだけが家に一緒におりました。溺愛されていたので、トイレに行くにも何をするにも、「おじいちゃん~」と甘えるとニコニコしてワガママを聞いてくれました。

先に書いた2歳頃住んでいたアパートまでは全員一緒に暮らしておりましたが、3歳頃に全員で引っ越して、母方の祖父母は別に暮らすことになりました。比較的近かったので時折泊まりに行きました。

 

おじいちゃんは相変わらず家におりましたが、両親は夜のススキノで働いておりましたので、親を待ちながらおじいちゃんに好きなTVを見せてあげたいと、両親の食事のためにお米をとぐお手伝いをしながら深夜まで起きていたものです。健気だな、小さい頃の自分。

当時の写真を見ると、読売ジャイアンツの帽子をかぶり、手にボールを持って、おひなさまの前で微笑む私がおります。父親は大の野球好きでした。プロ入りの話が持ち上がったものの、本州からやってきたスカウトに「身体が小さい」と言われてご破算になったそうです。身体の大きかった私は「おまえが男だったらなぁ」と随分言われました。

今でも思い出します。写真に出て来るおひなさまの横の壁には、実はボールを当てる的があったんです。そう、おひなさまの前でピッチング練習している時の写真なんです。ほんと健気だな、自分。

 

母方の祖父母の所へ泊まりに行くと、祖父が張り切って遊んでくれようとします。ところが、お酒にめっぽう負ける人なので、しょっちゅう不在か正体不明。でも、働き盛りで格好良かったんです。

休日には煙草に使うパイプを自作していて、それを眺めるのが大好きでした。おとうさんと呼んでいたものの、祖父ですので初孫の女の子をそれはそれは可愛がってくれました。

酒に呑まれると必ず若い頃のノートを見せてくれました。田舎の道楽息子で、昭和1桁生まれにもかかわらず、ノートには英語が書かれていたり車の構造が書いてあったり。戦時中も苦労した覚えはあまりないんだとか。その自慢話をしている時が何より好きでした。

 

当時の私には何より怖いものがありました。それは黒電話です。母方の祖父母はアパートの住み込み管理人だったので、取り次ぎの電話がしょっちゅう来ます。突然大きな音が鳴り響く度に、私はびっくりしてしまい、テーブルの下へ潜り込んで泣いておりました。そんな私を可哀想に思った祖父母は電話が鳴ると必ず大慌て。どちらかが私、どちらかが受話器へと猛ダッシュです。いや、この記憶(恐怖体験)は数々覚えてるんだけど、本当可愛いわ、私。

 

というわけで、まずは愛らしいalicedynの始まりなのでした。

思い出したらまた続きを書きましょうね。