alicedyn の非日常的な日常

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さぁさ、年末繁忙期なので早速現実逃避ブログ。
ほんとにほったらかしでしたので、前回の続きを書いておきましょう。

前回は…青天の霹靂でパパとおじいちゃんとのお別れでしたね。
今回はその直後のお話です。

小さな私が何もできない中、家族全員が住んでいたおうちを離れました。引っ越した先は、小さなアパートです。2階建てで、1階2軒・2階2軒の住人がおり、私は1階の1軒を、ママは階段を挟んでもう1つの1階の1軒に住むことに。小学校を転校するのを避けるため、校区内の引っ越しでした。

私はお父さん・お母さんと一緒に住んでいます。ママはといえば…知らない男性が同居することになりました。これはよく覚えてないんだけど、気付いたらおりましたよw その人が次のパパだと、どの段階で聞いたのかは青天の霹靂ショックで覚えていないんです。何となく受け入れたんだろう事は推測できるのですが…。
この新しいパパも実は家庭環境が複雑だった人。私のことを不憫に思ってくれて、それはそれは可愛がってくれたのを覚えています。ママだって随分若いママなのですが、それより更に年下の男性でした。
パパもママも働いていたので、お父さん・お母さんと一緒に住むのだと聞かされたのは覚えています。

実はこの頃の生活の事をあまり詳しくは思い出せません。
相変わらず体が弱かったので、熱を出した事は覚えているのになぁ。
きちんと覚えているのは、3つ。

1つ目、ある熱を出した日、パパが近所の病院に連れていってくれる事になったのだけど、おんぶすると言って聞かなかったこと。私はそれまでおんぶされて病院なんて行ったこともないし、そもそも体が大きくて、重たいから嫌だと言ったのに、その時だけはどうしても聞き入れてもらえませんでした。しぶしぶおんぶされたのは覚えています。
後々になって思えば、若いパパだったので、父親らしい事をしたかったんだろうし、パパ自身が不遇だったので子供の頃されたかったんだろうなぁ…と思えるようになりましたが。

2つ目、ママの方のおうちでは、ゴールデンハムスターを飼ってました。私は大喜びでしたが、ある時掃除中に逃げられたとかで、いなくなってしまいました。ハムスターに会いたいと私がしょっちゅうママの所に入り浸るようになったからかも?と邪推もしましたが、真偽の程は分かりません。
今でもハムスターは可愛くて仕方ないけど、ちょっとトラウマだし、喘息も出ちゃったから、二度と飼えないだろうなぁ…。
 

3つ目、あるクリスマスの事。良い子なのでイブには靴下をぶら下げておりました。朝目が覚めて靴下を持つと…何もない!!ちょまっ!大パニックです。あまりのパニックぶりにお母さんが涙目で笑いながら「ちゃんと見てごらん?」と言いましたが、ないものはないのです。珍しくヒステリーを起こして靴下を投げつけた時、ゴチン…ゴチン?あわてて靴下を外してひっくり返してみると…ありました。腕時計。欲しかったのは目覚まし時計だ!とか置いといて、とりあえずよい子認定されて、ものすごくホッとしたのを覚えています。さすがに逆ギレで「もうちょっと分かりやすくして!」と叫びましたよ…。
(お母さんからの数年後コメント:あの時は焦った。ないって泣き出すし、入れたって言えないし!しかも投げつけて!ちょっと頑張ってお値段の張るディズニーの腕時計にしたのに、壊れたらどうしてくれる!と本気で焦った。)

こんな感じで、相変わらず健気でかわいらしいalicedyn。
でも、何となくパパ(2nd)に遠慮もあったし、何せ普段一緒に生活していないから、不思議な距離感のまま…。これが次の青天の霹靂を呼ぶとは思わず、ただ良い子でいなくちゃと思っていたのもこの頃。
小1でやっていた通信制ワーク(進研ゼミみたいなの)はやめて、小2で塾に通いだして、クラスでも塾でも上位でした。バトンも習い始めたり、少し忙しくしていたはずなので、充実してたんじゃないかな?とは思うけど、本当に思い出せないですね。年のせいじゃありませんよ、念のため。
クラスの中では苗字が変わったので若干のいじめもありましたが、実はこの頃のクラスメートは今でも交流があったりします。ただ、その時の苗字で呼ばれるのでウカウカできません。

というわけで、青天の霹靂直後のあたし。健気なalicedynはまだ続いておりますよ。
また長くなったので、続きはまた今度忘れた頃に。まだまだドラマティック人生は始まったばかりだったという事だけ予告しておきましょうね。

随分と放置しとりました。

はい、可愛らしいまま留めておきたかった「alicedynができるまで」の続きをちょっとだけ。

前回は生まれてからとにかく健気な小さい私を書きました。

今回はその続き。

 

私が小学校に上がる直前でしょうか、おじいちゃん(父方の祖父)・パパ・ママ・私、そしてお父さん・お母さん(母方の祖父母)は、ある1軒の借家に一緒に住むことになりました。

2階は別の家族が借家として利用しておりました。

おんぼろのおうちです。市内中心部なのに汲み取り式のトイレでした。

いつだってトイレが怖くて、「おじいちゃーん!!!」とついてきてもらっていました。本当に可愛らしい私。

 

6人の大家族、私以外全部大人。

それはもう愛されて愛されてすくすくと育ちます。

ところが、この頃は身体が弱かったのか、月に1度は熱を出し、近所の病院に行けば必ずレントゲンを撮り、注射や吸入をしていました。

 

それから間もなく小学校へ入学。

新しいお友達もでき、それはそれは楽しい毎日。お勉強が大好きで、当時では珍しい通信型の教材でお勉強。当時は小1からの学習塾なんてないし、母親も熱心な教育ママだったので、どこからか調べてきたようです。私はその教材で月に1度の添削シートがあって、きれいな文字で添削してもらえるのが楽しみで仕方ありませんでした。

 

クラスの女子では一番身体が大きかったのですが、運動はからきしダメ。運動会でもいつも一番後ろから走ってくるような子供でした。

運動するくらいなら本を読みたい、本の虫。小1の時にどうしても欲しくて買ってもらった本が今でもあります。「からだの不思議」という図鑑で、当時は大人が読んでも分からないような事だらけの、ちょっと難しい本でした。小1なのにバセドウ氏病とか詳しかったですよ(笑)

学研の「ふしぎシリーズ」もほぼほぼ全巻持ってました。親が担任から注意されたそうです。物を知りすぎですって。

 

小1の時の担任は男の先生。背が高くて、細身で、スポーツ万能、でも繊細で、優しい先生。クラス全員にD51のモノクロ写真を配っちゃうくらいの鉄ちゃんでしたが、当時はそれが「大人の男の人だぁ~」とたいそう憧れたもんです。ちゃんとその写真もアルバムに入っておりますよ。

 

ところがです。

小1の3学期に入る頃、突然お母さんに大事な話があると言われます。

 

「パパとママ、今度別々に住むことになったんだけど、あんた、どっちと一緒に住む?」

 

は?

 

「パパと一緒ならおじいちゃん、ママと一緒ならお父さんとお母さんがいるんだけど、どうする?」

 

え?

小さな私は大混乱します。おじいちゃんとお父さんとお母さんっていう選択肢が欲しかったのですが、どうやらそれは叶わない事だと、何となく理解しました。

どちらかと言えばダメンズのパパ、ヒステリックなママ…どっちについて行っても悩ましい。パパについていっても、女の人が誰もいない。ママについていけば、何とかいける。でも、おじいちゃんに会えるのかな…。

 

「おじいちゃんに会わせてくれるなら、お父さんとお母さんとママと住む…。おじいちゃんに会えないなら、おじいちゃんとパパと住む!」

 

必死の答えをひねり出し、何が何やら分からないまま、私の進級に合わせて別々に住むことが決まりました。

そこからは引っ越し当日までどうやって過ごしたか覚えていません。

 

ずっと後に聞いたのですが、おじいちゃんはそれはそれは悲しんだけど、お父さんお母さんが私を育てるなら引き渡す。ママが育てるなら自分が連れていくと言ったんだと。しかも、私がうーんと小さい頃から、パパは麻雀にはまっては借金を繰り返し、家中もめる事もしばしばで、今回はもう手の施しようがないっていう決断だったと。でもね、大人全員が私には一切そんな所もそぶりも見せませんでした。大人達は何度もそういう話し合いをしてきたので、最終決断だったんだって。

しかし、私にとっては突然降って湧いた話で、よく小1の私が決断できたなぁと今でも不思議に思います。

 

引っ越し当日、家の前に置いてあったベンチで、ぼんやり引っ越し作業が行われるのを眺めながら、何も考えられず、泣くこともできず、ただただ座っていたのだけは今でもはっきり覚えています。

 

まさか青天の霹靂がこれで終わらない事を知らなかった、まだまだ健気で小さなalicedynなのでした。

長文になっちゃったので、続きは、また忘れた頃に書きましょうね。

今日は、ちょっとこの数日続いた不思議な出来事について残しておきましょう。
「見えないお友達」シリーズですが、前回の続きではございませんのであしからず。

先週、ちびっこスキー教室のお手伝いに行ってきました。

初日が終わり、どうにも右手が痛いんです。腱鞘炎もこじれてる所に肉体労働をしたせいかと思い、鎮痛剤を飲む前に息子にマッサージをお願いしました。

 

息子が右肩に触った時です。

「ママ!何したの?何に触ってきたの??」

彼にしては珍しく声を荒げました。

「何さ、ママは子供たちにもみくちゃにされてだな…あれ?そういう事?」

「…そういう事。でも、それだけじゃないよ。ハンパない凝り方だから、それは揉んであげるから」

というわけで、ゴリゴリされること数十分。押されてるのは分かるけど、凝りすぎて痛いという感覚は既になかったんですね。

肩→腰→肩→腰→肩→腕のルーチンを何度もしてくれたお陰で、痛みはかなり取れました。「もーいーよー。痛いの少し治まった!」

「で、ママは一体何をしでかしたのさ?」

「何も…強いて言えば、あそこ神社の森だからねぇ…嫌われたかな?」

スキー教室の会場は神社の森を抜けた先にあります。

小さな神社ですが、その森を突っ切るので気をつけてはいるんです。

でも、とりあえず痛みは治まったので、一安心。

2日目も若干痛くなったけど、我慢できない程じゃなかった。

そして3日目。この日は息子もスキー教室の助っ人で参加。

痛みも全然なくて、元気いっぱい大暴れ。

ところが、全て終わり、お迎えに来た旦那の車に乗ろうとした瞬間、「ギャッ!」と声が出るほど右腕に激痛が走りました。

旦那の車は神社の森の手前に停まっていましたが、そこにいる時だけ激痛です。先に車に乗った息子が降りてきちゃいました。

「ママ、ここダメだ。払って車に乗っちゃって!」

言われる前に右腕ブンブンして大慌てで車に乗って、旦那に出発してもらいました。
実は旦那が停車していたのは元々神社の駐車場。今は近所の大規模工事のため不特定多数の業者の駐車場になっています。

帰ってきてから、再びマッサージという名のお祓いをされつつ、息子と相談した結果、「ママは森へしばらく近寄らないこと」という結論になりました…。

 

その日の夕方、旦那とスーパーへお買い物。翌日は朝から用事が入っていたので、「明日ご飯作らなくていいように、カレー作ろうぜ!」というわけで、大量のカレー。
翌朝、出先へ行くと何やら大騒ぎになっています。聞けば、古くからの恩人が他界されたとの事。思わず息子と目を合わせました。「これか…」 月曜から子供たちも学校だし、私も連日のスキー教室でへとへとだったので、何となく午後は全ての予定を空けていたんです。我が家では大変珍しい全員の完全オフ。ここに葬儀が入ってきました。

ちょっと珍しいスタイルの葬儀なので、家族全員で参列することになり、用意もあるので急いで出先から帰る車内で、突然…
娘「お線香の匂いしたよ」
息子「今もうしないでしょ」
私「しゃーないでしょ、不幸あったんだから。いつ匂いしたの?」
娘「出かける時とさっき」 息子「○○と△△の所でしょ?」
…息子と私は毎度の事ですが、気付けば娘が参加していた「お線香の匂い」。もちろん、車内ですのでお線香なんか焚きません。

虫の知らせって言いますか、そういう感じです。

葬儀に参列して、お別れをして、帰宅した途端、ものすごい倦怠感に見舞われました。その倦怠感が終わると、あら不思議、右手の痛みはすっかり取れてしまいました。

というわけで、分かったのは「我が家に完全オフはない」ってことと、確実に娘がパワーアップしている事なのでした。

(旦那は全く普通に会話を聞いて「おまえら、またかー」と微笑んでおりましたよ。結婚20年もすれば慣れるもんなんですねー)