夫が、社会的に地におちるまで私達家族は
世に言う、セレブな生活を送っていた。
ゴールデンウィークは、国内
夏休みは、海外
食事は、子供がどんなに小さかろうと
ホテルで。
一番下の待望の女の子は、産まれた時から
名門校の幼稚園へのお受験を決めていて
塾代、2歳にして月10万円以上。
ハッキリいって、痛くも痒くもなかった。
彼女の、毎月のお洋服代も、それは、それは
今なら、考えるのも、はばかれるほど。
高級住宅地の、デザイナーズ一軒家にすみ
高級外車を二台持ち
私は、何不自由なく、セレブを満喫していた。
お金があると、精神は落ち着いた。
自分が、パニック障害、鬱であったことなど
思い出しもしなかった。
大学病院への入院でさえ、私のなかでは、
休養位にしか、考えられずにいた。
お金は、私に全てをくれた。
余裕、幸福感、希望、信頼、そして健康。
人間は、お金がなくても、おかしくなるが
あっても、おかしくなる。
でも、今でも私は、おもっている。
なくて、おかしくなるなら
あって、おかしくなる方が、どんなにいいだろうと。
賛否両論は、あるだろう。
だが、一度セレブを味わった私は、
今だ、その余韻を何処かにさがしている。
借金に、追われようと、心の何処かが
あの頃に、戻りたいと願っている。
あんな事がなければと。
つづく