友人の親御さんが、
施設に入るかも、という事で、
うちの父の時の話を聞かれて、
体験談とかアドバイスしていたら、
当時の父を思い出してしまった。
事実婚していた方とその方のおうちで25年過ごしていたが、
破局して荒れた自宅に戻り、
貧乏だったが長男(私の弟)から仕送りをもらい、お一人様満喫、趣味を楽しみ楽しく暮らしていた。元パートナーとも、茶飲み友達として付き合っていた。しかし、
コロナ禍に元パートナーが亡くなり、
憔悴した父は、ガタガタと体調を崩した。
コロナ禍という事で、趣味活動が制限されたのも余計辛かったと思う。
施設の見学も何も、私達は遠方のため、
とにかく急いで父を施設に入れるしかなかった。
入った年は、要介護3だった。
施設は費用が高く、父の口座のお金を全部使っても、
2年もたない、どーする?
と言っていた矢先、心臓が悪くなり、
2回入院した。入院費は高額医療制度とか、
医療保険など駆使して、思いの外、持ち出しは少なかった。
病院嫌いだった父は、
まだ施設の方がマシ、とばかり、
カラオケやマンウォッチングして、
施設生活をエンジョイし始めた。
女性入居者達に、
歌が上手ねー、
と褒められて、
歌って歌って、とリクエスト受けて、
民謡を歌いまくっていたらしい。
その頃介護認定調査をしたが、
間違いなく、度合いは下がるよ、と
言われたくらい元気になっていた。
しかし、施設内でコロナ患者が発生して、
レクが、全部中止になった。
それから2週間、
父は心筋梗塞で、救急車の中で蘇生を受けながら病院到着、
もう心臓マッサージやめていいですか?
という電話がかかってきて、
弟が、いいです、と答えて臨終となった。
父は、病院が嫌いだったし、
施設にいてもレクがないならつまらない、
じゃ、もう、あの世に行きますわ。
入院するくらいなら、
この世にいたくないよ、
ときっと思ったんだろう。
神様、もう、あの世に俺を連れて行ってくれ。
37年前に亡くなった最愛のハル兄ちゃん(父の大好きだった兄)と、
1年前に亡くなった元パートナーと、
35年くらい前に亡くなった妻と、
嫉妬とか、いざこざなんて関係ない、
広い意味での愛に溢れた関係で、
ワイワイあの世でみんなと暮らしたいよ。
これから行くからね、
現世よ、バイバイ👋
そんな感じだったと思う。
弟は、心臓マッサージをやめる決断をしたことを悔やんでいたけど、
悔やまなくていい、きっと父は、
この世に未練もなく、
喜んであの世に行ったんだから。
と、私は今でもそう思ってる。
家族も顧みず、
飄々と生きた父。
ずっと母子家庭のように寄り添ってきた、
母と私と弟。
父に愛情を受けた思い出は全くないが、
それでも、
やるべきことを、やったんだよ、私達は。
って思う。弟なんか、
お金の面倒も見て、
偉いもんだよ。って言ってあげた。
施設選びの助言を考えていたら、
父の思い出になっちゃいましたわ。
適当なジジイと、
適当な娘、
お母さんは、お爺さんにそっくりなようですよ。
会ったことはないけど、
ポッキー先輩は、一年ぶりにくらい会った爺さんに、
おまえ、まだ生きていたのか!
と驚かれたらしいよ。
変なおじいさんだったらしいね。
(マロより)
全くバレンタインに関係ない話でした❣️