高校の時、


私は吹奏楽部に一年だけ在籍した。


バスクラというクラリネットのデカいやつを担当した。


文化部で一番ハードな部で、

秋のコンクールに向けて、

夏休みも40日毎日練習。

8月1日から15日くらいまで校舎で合宿。

お盆もなかった。

顧問の先生は、たまにしか来校せず、

毎日、OB、OG、生徒だけで運営。

カップルがどんどんできていったが、

私には、そーいう出会いもなく💦

今みたいに、学校側の責任とかなく、

自由に生徒だけで、貸し布団に雑魚寝して、

3食仕出弁当が配達され、

近所の銭湯へ行くか、または、運動部の共同シャワーを

(水しか出ない水シャワー)を使う、

自宅に帰宅は禁止されていたが、

ズルして、自宅へ帰り風呂に入ってくる子もいた。

って、あまりにも昔なので、断片的にしか覚えてない。携帯もなかったので、家族は、

さっぱり連絡のない私を心配していたらしい。

お盆のころ、母が実家へ帰り、

留守番していた父と弟が、

お姉ちゃんは、学校で元気に暮らしているのか?

と心配のあまり、夜に、

車で学校まで来たらしいが、

校舎の一部の窓に電気が灯っているのを見て、

あそこに泊まっているんだね、

と確認だけして帰ってきた、という話を、

合宿明けに自宅に帰って初めて聞いた。


休み中、課題を全くしていなくて、

夏休み明けのテストは、

下から数えた方が早かった。

一学期の期末テストは上位30%以内だったのが、

二学期は下位の30%だった。


秋のコンクールの結果は散々たるもので、

如何に強豪校が素晴らしいか目の当たりにして、

レベル違いの現実を知る。

やはり、努力だけではダメ。

指導がしっかりしていなきゃ。


個人的に優れている子は何人かいた。

実際、その子達は、芸大に行ったし。

しかし、

個人的に優れた子が数人いても、

全員優れている強豪校には敵わないという現実を知る。


私みたいな、

高校で初めて吹く、そんな程度の初心者では、

話にならない。


2年生になるとき、

部員3人しかいない英語クラブが、

文化祭で

英語劇をやる予定なので、

今から部員を集める、という噂を聞いた。

部員3人のうち、1人と交流があったので、

普段、どんな活動をしているのか聞いたら、

英文タイプの練習をしているという。


ブラザーの英文タイプを見せてくれた。

面白い!

キーボードの並び順を覚えて、

部室で打たせてもらい、遊んでいた。


吹奏楽部にも飽きて、

勉強もしたいし、

もう、夏の合宿は参加したくなかったし、

というわけで、

英語劇がやりたいので、

転部します、と宣言。


先輩のいない英語クラブで、

ぬるーく活動したかった私は、

吹奏楽部の先輩達の説得を振り切り、

転部した。


英語劇は、陳腐な出来栄えだったが、

温い活動で、勉強と部活の両立ができて、

3人しかいなかった部員も、8人に増えて、

それなりに楽しかった。


2年生も後半になると、

吹奏楽部でも、学業に専念したい、と辞める子がちらほら。

そのうちの1人、Kちん(ニックネーム)が、

とある部員に恋していて、

辞めるのに躊躇していたが、

告白もできず、モヤモヤしているくらいなら、

と思い切って告白、

お断りされて、スッキリさっぱり退部して、

学業に専念していた。


それから、20代のときに内輪の同窓会で会ったきり、

音信不通だったが、結婚はしていないと風の噂で聞いていた。

去年、

数年前に亡くなったという事実を知る。


この間もKちんの思い出話に花が咲き、

Kちんの告白した相手が、

地元交響楽団の指揮者をしている、という話も出て、

思い立って検索して、

見つけた。Kちんの好きだった彼を。


面影があるなあ。

メガネかけていたけど、

コンタクトにして、

イケメンかも?

などと画像を見ていたら、

涙が出てきた。


Kちんの告白した君は、

ちゃんと夢を叶えて、

立派に活躍されています。

Kちんは、もしかしたら、

彼の活躍も知っていたかもしれないし、

高校のとき告白したことも忘れていたかもしれないし、

何とも言えない事だけど、


Kちんを思い出し、

Kちんの好きだった人を思い出し。


Kちんに、お線香を上げることもかなわない私だけど、45年くらい前の思い出を、

ここに綴りましょう。


「高校の時の思い出」


でした。