ポッキーの初めての月命日です。

 
早いと思うような、でも、ずっと前のような、
 
なんだか不思議な感覚です。
 
ポッキーと2人暮らしになってから3年で、
 
ポッキーは逝ってしまった。
 
毎日、ポッキーは、静かだったので、
 
亡くなる前と亡くなった後も、
 
そんなに変わらない家の中です。
 
帰宅すると、祭壇にお線香あげて、お輪を鳴らし、ポッキーの写真を眺めながら、
ホッと一息。
 
母上にも、そんなことしなかったのにwww
 
急に申し訳なく思い、ポッキーの写真と母の写真を並べて、一緒に(ついでに?)手を合わせています。
 
無性にポッキーを抱っこしたい衝動に駆られますが、
 
あの感覚がどんどん薄れてしまうことに、
 
一抹の寂しさを感じます。
 
さて、
 
一年前の、桜とポッキーの画像。これが最後のお花見になりました。
 
 
くんくん、匂いを嗅いでますよ~。お散歩コースの神社にて。
 
こうして、ポッキーの思い出を綴るのも、どうなのか、
 
と思う今日この頃なんですけれどね。
 
悲しみに蓋をする、っていうのも時にはいいのかもしれないし、
 
そうして、一気に蓋をあけて号泣してみる、とか。。。。
 
誰かが言っていたけれど、
 
「泣ける原因を無意識に探している」
 
そういう時、って確かにあるのかも。
 
人間って、ずっと悲しんでいると体も心も参ってしまう、と、
本能でわかっていて、
それを回避するように、
悲しい記憶を、一時的にリセットすることができるんだと思う。
 
そして、ずっと悲しみに蓋をしていると、それはそれでパンパンになっちゃうから、
定期的に、涙を流して、ワ~っと放出する。
 
それを放出する原因を、無意識に探る。
 
だから、
 
感情に波があって、ワ~っと泣いたり、
 
ケロっと元気になって、あれやこれや、行動的になってみたり、
 
そういうことの繰り返しで生きていくんだと思う。
 
それを人は「情緒不安定」と言うかもしれないけれど、
 
しばらくは、仕方ないと思う。
 
最初はポッキーのお世話をしてきたつもりだったけれど、
いつからか、
立場が逆転、ポッキーが私たち家族のお世話をしてきてくれた。
 
お姉ちゃんが自立して、
 
次にアニキの自立を見届け、
 
そして、最後に私の自立を見届け?
 
ポッキーが亡くなった今、もう、私のお世話をしてくれる者はいない。
 
でも、一人でやれる、って
そう思ったから、ポッキーは私から、旅立っていった。
 
うん、大丈夫だよ、私は。
 
時々、ワオ~ンアセアセと泣いては、
 
デトックスしているからうさぎてへぺろ
 
また、一緒に散歩しようね、後世でね。
 
パー