11月26日、第28回鹿児島起立性調節障害親の会を開催しました。

あいにくの雨でしたが、ODの子ども達も体調を整えて中学生が4人参加してくれました。
大人の参加者は14人で初めて参加された方がお二人ありました。

初めにお一人づつ自己紹介していただきました。

 

初めて参加されたお一人はブログを見て親の会のアドレスにメールをくださいました。

中一の娘さんは地方の国立病院の小児科でODと診断されましたが、今は休むことが大切と薬も出ず、学校へ行ける日は午後から登校し無理のないようにしているとのことでした。
ピアネットアリスが全国の中学校へ送った「起立性調節障害の子どもを支える人たちへ」が学校に届いていて、担任の先生も理解があるとのことでした。

もうお一人は中三のお孫さんのおばあさまで、南日本新聞「みなみのカレンダー」を見て電話くださいました。

お孫さんのお母様が小3の時、病気で亡くなられ、その後おじいさまとおばあさまで面倒を見ておられるとのことでした。

朝起きれないのは、夜遅くまで起きているからだと医者に叱られ、それ以来医者嫌いになり診断は付いていないとのこと。

母親が亡くなっても涙を見せない孫が自分を心配させまいと気を使っているのではないか、自分が二十歳になるまでおばあちゃん元気でいてねと孫が言うと話され、お互いを思いやる姿に参加されたお母さん方は胸が熱くなり涙を拭いておられました。

中三であり進路のことが気がかりと話されていました。


 

今回はOD体験者の27歳の社会人の男性が、自分のOD体験が役に立てばと申し出てくださり、わざわざ帰郷されお話ししていただきました。

親の会あてにくださったお父様のお手紙 「息子の起立性調節障害を体験して」
県外でODを克服し、自分の道を見つけて社会人として生活されているOD先輩の話を子ども達も一緒に聞きました。

 

お話の内容はつぎのようなことでした。
・中高一貫の中学1年で発症し、保健室登校していたが学校へ行くことができなくなり、家ではゲームとパソコンをしていたが大学進学が目標だった。
・スポーツはもともと好きだったが、ODで外に出られない時代は、犬の散歩をして体力を維持していた。 
・高校二年で高卒認定試験に合格し、アルバイトをしながら独学で勉強し二浪して大学に合格。
・大学に入ったころは腹痛などがあったが3年になると体調が良くなった。
・就活して就職したが、自分のやりたいことをするため退職。
・中高時代、家でしていたパソコンを使った仕事がしたいと、現在、ホームページ作成を仕事としている。
・家にひきこもり、人と話すのは苦手だったが、アルバイトを機会に接客が好きになり、マネージャーを任された。
・朝早い仕事にも対応できており、体調はすっかり回復した。
 
お母さん方からの質問に対して
最初は小さな目標を立て、少しづつできることを増やして行くと自分に自信がついて次の目標ができる。
自分の好きなことをしていると、やる気が起きてくる。
子どもが何かやりたいと言ってきたらやらせてほしい。
自分の好きなことをさせてくれた両親に感謝している
と話されました。
 
OD先輩のお話の後は、お母さんや子ども達と懇談していただきました。
参加してくれたODっ子達は、自分んと同じODの経験者とまじかに接して、力を貰うことができたのではないかと思います。
お母さんがたは、成人したOD先輩の姿を見て話を聞いて、我が子の未来の姿を重ね、子どもの明るい未来を感じることができたと思います。
 
初めて参加されたお母さんは、子どもを学校にやらなければと一人で焦っていたが、皆さんの話を聞いて、焦る必要はないということが解り大きな気持ちで見守っていきたいと話されていました。
おばあさまは、進路や将来のことを色々心配していたが、色々な道があり、先のことを心配することはないと安心しましたと話されていました。
孫のことばかり考えて自分が病気になりそうでしたが元気が出ましたと言っていただきました。 
 
OD先輩をお迎えしての今回の親の会は子ども達も参加して、有意義な良い会になったと思います。
OD 先輩Oさん、子ども達、各地から参加してくださった皆様、ありがとうございました音譜
 
 

 

 

 


田中大介先生からのメッセージ

 

 

身長176cm よかにせラブラブOD先輩