かつて 4歳の時に アレルギー性紫斑病になりました。

一般的なアレルギー性紫斑病と症状が違くて、
前例がほとんどない症状の出方でした

そこらの病院で 原因不明で命を落としそうだったので、ここに記録しておきます。

初めは、クリニックで胃腸炎と診断されましたが、熱が高めで、2日間点滴を受けましたが、
症状が改善しないので、
2日目の午後には、大きな病院への紹介状を渡されました。

即 入院。
便の検査で細菌性胃腸炎と診断され、
点滴による抗生物質投与を、1週間
その1週間は、吐き気が酷く、食欲もなく何も食べられませんでした。
少し 元気が出できたようにも感じられる中、完治の様子はありませんでした。
「もう 菌はないはずだから」と、
食事も好きなものや、食べたいものがあれば、出来るだけ食べさせて下さいと言われました。
本人は 次第にお腹の痛みを訴え、食事を拒否しました。
医者は、食べた方が良いと言うし、あの手この手で1口でもという思いで、食べさせました。

病院を信頼して大丈夫と、信じていました。
でも 恐ろしく不安がありました。
我が子は、起きている時間がだんだんなくなり、
声をかけて、目を覚ましても、
すぐに 「お腹いたい」と、眠り込んでいます。
日を追うごとに、声があまり届いてない感覚がありました。
今思うと、意識障害だったと思います。
入院から13日、この時点で、体重が4キロも減っていました。

2週間が経とうとしている時、医師から
「カルシウムやマグネシウム値が、生命ラインを下回りそうだ。」という話(命が危ないということ)があり、
医大への転院を話を受けました。
何かおかしい。抗生物質を2週間も投与して良いのか!?と思いながらも
それまでは、医者の言うことを 疑いなく良く聞いていました。
本人の様子にあまり目を向けず、
検査結果と医学本をこれだけ読んで調べたけど、原因が分からないという資料を見せてくる医師の姿にブチ切れました。

転院は週明け。
まだ2日もある。
こんなに数値が下がっているのに、この2日で何かあったらどうするんだ!今すぐ転院できる病院を探してと怒りました。
医師からは、胃腸炎で入院している以上、個室の空きがないと転院できないし、この間の便の検査結果は、まだ出でいないから無理なんですと。
検査室に連絡しろと言いました。
医師にはむかったのは初めてです。。

結果、検査室では陰性の結果が出ていました。
翌朝一で、救急車で転院することになりました。

母の直感ほど 正確なものはありません。

信じても信じても、
なんか変。なんか違う。
第六感がはたらきました。


転院後の治療の話は 後編にします。