お盆が過ぎると、急に駆け足になる夏。

8月と言う特別な一ヶ月の間に、やりたかったことは沢山あったけど。

その最後の日は、うっかり倒れて一日終わってしまった。


平成最後の夏は、どうやらこんな調子のようで。



それでもいくつかの素敵な思い出と、夏の日があって。

残したいと思いながら、それも月をまたいでしまったけれど。


八ヶ岳倶楽部に、フルーツティーを飲みに出かけた日のことだとか。


確かこの日も前日から倒れていて、午後もだいぶ消化した頃動き出した。

本当は、夏の初めに行きたかった八ヶ岳倶楽部。
去年買わずに公開した、レトロな蚊遣りが欲しかったのだけど今年は売り切れたのか仕入れが無かったのか…見当たらず、残念。


それでも名物のフルーツティーは頂いて、駆け足の夏を急ぎ足で追いかけてみたりして。


緑の冴え渡る、森のせせらぎ。
鳥の声、葉のさざめく音。


森の小道を行くには、少々日暮が迫っていて。
少し、緑の空気を深呼吸した。


八ヶ岳の東側では、当たり前だけど八ヶ岳に日が沈む。
だからここは日が落ちるのが早くて、そして気温もぐっと下がる。

夜の高原はもう秋の顔で、油断すると随分肌寒い思いをすることになる。


それでも、其処此処に残る夏のカケラを集めて帰った日。

思っているより動かない体と、思っているよりままならない心。
起き上がれない日々や、起き上がってもトイレに行って倒れる時も。

お風呂に入って上がれなくなって、明け方水風呂からようやく身を起こしたり。

動こうと、着替えた姿のままうつ伏せに床に倒れていたこともあるし、出かけたい気持ちはあるのに追いつかない。


だから、少しでも出掛けられたらそれでいい。
こんな夕焼けを見られたら、それでいい。


仕事を辞めて、何ヶ月とか。何年とか。
数えるのは、辞めることにした。

出かけられた日を数えるのも、出かけられなかった日を悲しむのも。
着替えたのに、髪に櫛が通せなくても。
あと少し、あと少しといつのまにか喘ぐような日々で、思えば折角の夏にまるで溺れてしまっていたようで。

ちゃんと息継ぎができれば、夏を泳げたのかも知れないけれど。
揺蕩うクラゲにもなれなかった私は、平成最後の夏の底で時折水面を見上げる二枚貝のようだった。

決して夏らしさは例年ほど謳歌は出来なかったけど、沈んだ水底で過ごす夏もまた過ぎて行くから。


集めた夏の砂を小瓶に詰めて、あの本の挿絵の湖に沈めてしまおう。

いつかその湖の水底で、忘れ物のように拾ういつかの夏。