手作り小物が好きです。
自分で作るのも好きで、病気するまではあれこれ手を出して楽しんでいました。
でも病気がしんどくなるにつれ、その気力も本当に無くなってしまって…
あんなに好きだった、レース編みもちょっとしたお裁縫もニードルフェルトも、ビーズやレジンやチャームでのアクセサリー作りも…
大好きだった、資材屋さん巡り。
素敵な布地を見つけた時の、ワクワク感。
作りたいものが浮かんで、どうやって形にしようか考える楽しさ。
初めての素材でも、試行錯誤を繰り返しては形に近づける工程は失敗さえも楽しくて。
何度でも何度でも、作りたい!と言う気持ちが溢れるままに色んなことに挑戦していたあの頃。
ちまちました単純作業は苦手なくせに、何故かハマったレースのドイリー編み。
刺繍糸の美しさに溜息をついて、何冊も読んだ刺繍の作品集。
当たり前にそこにあって、当たり前に手が動いて、当たり前に作ることができた。
それが、まったく『無理』になった。
スイッチをオフにしたみたいに。
ばっさりと、ブレーカーが落ちたみたいに。
考えるより先に動いていた手が、資材を持って動かない。
あれだけ時間が欲しかった、会社員の頃。
時間はできたのに、ここに材料もあるのに。
息するように作っていたものでさえ、作ろうとすると苦痛を感じた。
それも、押しつぶされそうなほどの。
それでも私は、手作り小物が好き。
作れなくなっても、クラフト市やデザインフェスタを覗きに行くのは至福の時間。
あの場にいる時、心の奥の方で。
心の奥の奥の、きっと魂の側で。
作りたいな、と言う気持ちが、ほんの少しだけ線香花火みたいに弾ける。
すぐに吹き消えてしまう、火の粉だけど。
それでも、胸の奥で火花は散る。
まだ、何かを作り出せるほど、私は回復していない。
資材売り場は、いまだに遠い。
逆に言えば、その気持ちがきっと病気とリンクして、きっと回復の目安にさえなる気がしてる。
現に、最近資材になりそうなものに目が止まるようになった。
考えようとするだけで、ひどい苦痛を感じていた頃からしたら進歩に違いない。
まだ、作ることはできないけど。
いつか、と思って手にすることはできるようになってきた。
無理に期限や、目標は決めない。
自分にプレッシャーはかけない。
プレッシャーで押さえ込まず、自然と湧き上がる気持ちを温める。
いつか真夏の積乱雲のように、上昇気流が気持ちを湧き立たせるのを待っている。
前は何の妨げもなく、壊れたネックレスを自分で直していた。
まだ、お気に入りのネックレスはチェーンは壊れたままだけど。
無理はしない。
やりくなったら、やろうと思う。
そこに罪悪感や、引け目や、自己否定はいらない。
私は私の好きにする。
そんな時、この告知が目に止まって。
ロゼット。
昔作ろうとしたけど、等間隔にリボンを寄せることができなくて挫折した。
私には向いてないやー、と、投げ出したきりだけど。
この告知を見たときに、楽しそう、と純粋に感じたから。
素敵なカフェで、お茶を楽しみながら習う手作りの品。
間違い無く、素敵な時間。
自己流で挫折したからこそ、習えるのなら習っても見たいし。
最近少しずつ芽生えてきた、かつての創作欲の背中を押してくれそうな気がして。
とりあえず今はまだ興味を持ってるだけだけど、この気持ちが今いっときの気まぐれじゃなかったら。
きっと、参加したら楽しいはず。
少し考えて、もし間に合えば。
参加してみたいなと、前向きな気持ちがロウソクみたいに光ってる。
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