人間には空気が無いと音が聴こえないけど宇宙は音楽にあふれてる気がするんだ。音楽が宇宙の目的じゃないかとさえ思うこともあるよ
— 吉良知彦 (@kiraguit) 2016年7月2日
私が吉良さんと出会ったのは、中学生の頃でした。
お小遣い制で無かった私は、親におねだりしてCDを買って貰っていた。
最初に買ったCDは、まだZABADAKが三人体制だった時だったな。
それから吉良さんと上野さんの二人になって、音楽性の違いからのれん分けがあって。
吉良さんのソロ期間の後、小峰さんが新しく女性ボーカルとして参加して。
色々あったけど、ずっと好きでい続けた音楽だった。
好きになったアーティストは何人もいるけれど、周期的に聴いたり聴かなくなったりする中で、ZABADAKは絶えず古い曲も新しい曲も分け隔てなく聴きつづけてきた音楽だった。
冒頭のツイートをした翌日、吉良さんは急逝した。
それまで何気なく当たり前に、何の兆候もなく元気に過ごしている有様をツイッターに上げていた中での青天の霹靂だった。
先月、私はZABADAKのライブに急遽参戦した。
今までの私だったら、二の足を踏んで行かなかっただろう。
でも、『行きたいところに行く』と、決めたから。思い切って、一人で飛び込んでみた。
最高だった。
本当に、行って良かった。
全国ツアーの最終日だったけど、まさかそれが本当に最後のライブになるなんて、その時は思いもせずに。
本当に、本当に行って良かった。
苦しいほどに、そう思う。
最後まで残って、出待ちをして、貰ったサイン。
もしかしたら、最後のサイン。
それから一か月もせず、帰らぬ人となるなんて。
学生時代、親に強請って買ってもらったCDをカセットテープに編集して繰り返し聴いた。
MDになって、CD-ROMになって、データになって。
メディアが変わっても、ZABADAKは入れ続けて聴きつづけた。
大人になって自分のお金でCDを買うようになって、ライブに行けるようになって。
やっと直接、お話ができるようになったばかりだった。
伝えたい事はたくさんあった。
どれだけZABADAKの音楽に救われてきたか。
どれだけZABADAKが私の一部になっているか。
伝えられないまま、吉良さんは逝ってしまった。
ZABADAKの音楽は血のように、私の体を流れている。
それはきっと、私の命の終わるまで。
吉良さんの魂は、私の身体の確かに一部になっている。
吉良さんが宇宙になってしまっても、吉良さんの音楽はずっとずっと残り続ける。
ああ、だけど。
新しい音楽を。
生の歌声を。
もっと、もっと、聴きたかった。
余りにも早い、お別れだったから。
ZABADAKの中でも代表的な、音楽。
こんな時に、ぴったりの、音楽。
最期だから、良かったら聴いてみて下さい。
吉良さんがここにいた、世界を。
穏やかで、優しくて。
余りにも、慈愛に満ちたこの曲が好きだ。
きっと、この曲のように吉良さんは宇宙の風になって、地球の自然を歌いつづけるんだろう。
風が吹くとき、そこはきっと音楽の波打ち際になる。
新しい音楽がもう聴けなくても、色あせない音楽はずっと残り続ける。
さよなら ありがとう とおくにきえても
さよなら ありがとう あたらしいあしたを
たしかにわたしの一部は あなたでできてるから
(あたらしいあした/ZABADAK)どうか、安らかに。
宇宙の風になって、音楽を奏で続けてください。
……願わくば、その音楽を風に乗せて、潮騒に乗せて、届けてくれたら嬉しいです。