人生なんて、何が起こるか分からないって。
誰もが知っているようで、分かっていないのかも知れない。
本当に明日死ぬかも知れないなんて、今の日本でどれだけの人が考えて生活しているのだろう。
けれど刹那主義になれるほど、強くもなくて。弱くもなくて。
突然の躓きは去年の初めで、でもきっとそれは前から決まっていた事だったのだと思う。
ゆるゆると予兆はあって、でもそれに気付かないふりをして『日常』を繰り返していたのだ。
そんな事が、あとどれだけ私の日々には埋まっているのだろう。
一度は、自分に絶望しか感じられない事もあった。
そんな自分を否定して、過去の自分を捨ててしまおうと必死になったりなんかして。
でも結局。
捨てて残ったのは穴ばかりで、得たものは失った物の尊さだったりもした。
本当に捨てたいのは自分だったのに、それは捨てることが出来なかったしね。
足掻いたり溺れたり散々七転八倒して、ようやく疲れて見上げた空はいつだって青かった。
大好きな、美ヶ原のニケの像。
随分、見に行っていないな。
久し振りに、会いに行きたいな。
去年はどこに行くのも、足枷がついているような気分だった。
こんなことをしてる場合じゃない、って。
早く、『元の生活』に『ちゃんとした生活』に戻らなきゃって。
そんな事ばかり思って、自分を追いつめてばかりいたから、どこかへ行くのも苦しくて。
でも、『ちゃんとした生活』ってなんなんだろうね。
何が起こるか分からない人生の中で、変わらない日常を送れることって実は奇跡の瞬間をつなぎ合わせて出来ているのかも知れない。
そんなとりとめの無いことばかり、考えてしまうのは、きっと春が過ぎるから。
去年、断捨離をしていた時に思っていた、『間違った自分を捨てなくちゃ』と言う気持ち。
あれは結局自分を追いつめるばかりだったけど、ちょっと違った角度から見てみよう。
踏み外しちゃいけないと、ガチガチになった足で踏みしめていた道を、思い切って踏み外してしまおう。
出来なかったことをしてみよう。
やりたかったことをやっちゃおう。
そう思って、ものすごい勇気を振り絞って、実は行ってきた名古屋。
ずっと行きたかったけど、我慢していた場所に、思い切って行ってきた一日目。
だって名古屋なんて遠いしお金もかかるし…
だけど、今しかない!と言ういくつかの偶然が重なって。
思い切って、飛び込んだら後悔なんて微塵も無かった!
去年のひどい時は、パンひとつ買うのにも罪悪感があったのに。
実は生きてるだけでお金がかかる事が申し訳なくて、電気や水を使うのも苦しかったりしたんですよ。
そして予定もめちゃくちゃに、駆け回った名古屋二日目。
薬を忘れて酷い体調だったのに!それも知らない土地で。どっちも去年の私なら、絶対信じられないようなこと!
でも、そう言うことをしてみようって思ったのです。
ありえないことを、思い切ってやってみよう。
やりたいと思ったこと、行きたいと思った場所。
自分に正直に行動するって、たぶん自分を大事にする事にも似ているから。
そして名古屋の最後に、うちこさんに会って。
ここでね、思いがけず同じことを言われたのです。
『自分のやりたいと思ったことを、思い切ってやってみる』、と。
「もし周りに何か言われたら、言われた時に考えればいい」
もう大人なんだから、周りから何か言われるようなことしちゃいけないって。
周りの目を気にして、世間体を大事にしなきゃって。
思ってたけど、そんな風に言ってもらって、なんだかそれは私のその日の行動を肯定してくれたみたいでした。
(もちろん、そんなことうちこさんは知る由もなかったのに)
不思議ですよね。
動けなかったときは、何もかもが悪い方へつながって行くように思えたのに。
絶対無理だと、ありえないと思っていた選択を思い切ってしてみたら、思っていたような最悪の事態なんか起きやしなかった。
明日もしかしたら死ぬかもしれない人生だけど、もしかしたら物凄いハッピーが起こるかも知れないんだ。
大人ぶって諦めた顔して、そうして『ちゃんとしている』つもりだったけど。
結局踏み外してしまう道ならば、いっそ飛び降りてしまうのもいいかも知れない。
自棄になった訳じゃ無いよ。
ただ少し、前を向いただけ。
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