2月最後の閏日は、氷混じりの冷たい雨。
ほんのり白い雨筋が、銀の尾をひいて落ちてきます。


アイコンと言うのでしょうか。
アメブロの自分の写真に、今この写真を使っています。

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前に作った、宇宙色のクリップ。


『手芸』と言うよりは『工作』が昔から好きで、『家庭科』より断然『図工』の時間が好きでした。

料理は裁縫はうぇーーっとなってしまうけれど、塗ったり貼ったりするのは好きなようです。
いつも何かしら、手先を動かす趣味は大切に楽しんでいました。


そんな風に昔から色んなものに手を出して来たものの、去年断行した『ときめかない断捨離』により、私はそう言った道具のほとんどを捨ててしまいました。

(前記事『部屋と断捨離と私
              『断捨離、プラスマイナス』)

粘土、ニードルフェルト用の羊毛、レース編みの糸玉…まだまだ使える資材を全部ゴミ袋にまとめて捨ててしまったので、部屋は片付いたけどかなり後悔しています。


『今、人生が悪い状態にあるのは、過去の自分が歩んできた人生が間違っていたから』だと思っていたので、過去に好きだったものほど悪かった気がしてしまったんですよね。

全部自分が悪いから、その『自分』を捨てなくちゃ、と無意識に信じてしまったんです。


「人生のお片付け」が「断捨離とは、今までの人生を捨てて新しい自分になるステップ」になってしまった。

今までの自分を全否定して、改心して正しい人間になるために、全部捨てなきゃ!

そう言う断捨離をしていたんです。


そりゃー泣きながら、にもなりますわ。
物を捨てながら、自分を捨てているんですもの。
でも、それが良い事だって信じてました。

片付けも掃除も断捨離も、良い事だって世間の常識だし。
疑いもせず、自分をどんどん切り捨てていました。


自分の全てが間違っている気がするし、捨てたいのは自分だった。

楽しいと思う気持ちや、嬉しいと思う気持ち、ご飯を食べて美味しいと思う事にも罪悪感でいっぱいでした。

自分の選んできた人生が間違っていたのなら、自分が感じる幸せも過ちのはずなので。

大好きなミスドのドーナツを食べながら、涙が止まらなかった事を覚えています。

私がこれまで選択してきた事が間違いだったのなら、私が良いと感じるものが間違いだった訳で、幸せと感じることもいけない事になっていたんですね。

捨てちゃいけないもの、たくさん捨てた気がします。


生き迷ってる時だからこそ、断捨離に失敗してしまった気がします。
でも生き迷ってる時だからこそ、断捨離とか何かをしてそこから抜け出そうともがくんですよね。

溺れる者は藁をも掴む。

本当に苦しい時、迷っている時は焦ってしまうものですが、そんな時こそ立ち止まる勇気が必要なのかも知れませんね。

最近やっと、立ち止まれる勇気が湧いてきた気がします。
ちゃんと立ち止まれたら、また少しずつ、何かを作れたらいいなと思います。