断捨離って、勇気が要りますよね。
体力も精神力も要するので、仕事していると中々手が付けづらいと思います。
私自身、永らく『片付けたい…でも…』と言う気持ちを抱えていました。
ときめくものだけを残す!だとか、断捨離すると運が良くなる!だとか、そんな情報の片鱗に触れながら。
そんな私が大きな断捨離に踏み切ったのは、病気になったからでした。
療養を理由にした時間ができたからと言うのもありますし、前々から『片付けはした方が良い』と言う刷り込みがあったからだと思います。
いつか片付けようと思っていた山を崩し、整理した方がいいと感じていた場所を崩し。
ひとつ片付けると別の場所が気になって、取り憑かれたように片付けをしていた気がします。
『断捨離は良いこと』と、思っていたので。
今の自分があるのは、過去の自分の積み重ねです。
そして部屋にあるものは全て、過去の自分の分身です。
病気になったのは自分が過去に歩んできた道が間違ってきたからで、間違った自分を清算するために過去を捨てなきゃ、と。
それが『良いこと』なんだと信じて。
結論を軸にして、行動の意味がすり替わっていたことに気付いていませんでした。
『片付け=善』と言う刷り込みも強かったので、疑問に思わなかったのも落とし穴です。
今の自分は過去の自分の積み重ねなので、その過去を捨てて行くのは自分を切り捨てていくような痛みがありました。
間違いが辛かったのか、手放すのが辛かったのか分かりませんが、最後の方は泣きながら断捨離していました。
ちっともときめきませんね!
物が無くなってすっきり片付いた部屋に感じたのは、気持ち良さよりぽっかり胸に空いた空虚感。
それが良かったのか悪かったのか、私には未だ結論は出ませんが。
「本当に大切なものは、手放してもまた買い直す」なんて言う論もありますが、実際問題もう二度と手に入らないものも多いのが難点です。
失って初めて分かる大切さ、なんて言いますが、大切だと知っていながら手放したので救いがないのか現実。
『正しい』を根拠に動くのではなく、『間違い』を論拠に動いてしまったのが失敗だったと思います。
何が正しいのかは分からないけど(そしてきっと、世の中に正しいものなどありはしないのだけど)、自分が何か間違っている気がする。
そんな時どう動くのが良いのか、私には分からないままですが。
残念ながら朝も来るし夜も来るので、今日も1日紅茶が美味しいのが救いです。