生き物をいただく | 続・阿蘇の国のアリス
「ミズタキ...どこにいったの?」


ほんとうにぼくらときたら、
すっかり忘れているんだ。


日々、つつがなく生きていられるのは
誰のおかげか。

他の生き物の命をいただいているから
ではないか。


どこそこの何がうまい、
あの店のあれが絶品などと、
何をいったい得々と
しゃべっているのか。


いや待て。それは良しとしよう。

おいしいものに魂を奪われるのは、
人間、仕方のないことだ。


だか同時に、
人とは他の命を食べなければ
生きられない、
悲しく罪深い生き物であると、
時折思い出さなければ
いけないのではないか。


「痩牛鬼(そうぎゅうき)」
という小説があります。


600万円の値がついた、
出荷直前の松阪牛が姿を消します。

連れ去ったのは、
牧場に住み込むひとりの少年。


不幸な生い立ちをもつ少年は、
兄弟のように育ち、
自分が唯一心を開いたこの牛が、
屠殺場に送られることを
どうしても受け入れられなかった。

捜査隊を放っても
見つけられなかった牛と少年に、
ある猟師が山中で出会う。


驚くほど痩せた彼らに
猟師は救いの手を差しのべるが、
少年はなおも牛を連れ、
あてのない山にはいっていく...。


相手はモノではなく、
頭を撫でれば答える生き物だから。

食肉牛と名づけられているだけで、
実は、今ぼくの隣で寝そべる
わが愛犬と何一つ変わるものでは
ないのだ。

生き物を食べることは、
それほどの恐ろしさを
はらんでいるのです。

「ミズタキ...もう、3日も会ってないよ。
飼い主さんも心配して探しに来たんだよ」