もう、食べなくていいよ | 続・阿蘇の国のアリス
去年彼女ががんになって、
あわてて結婚式を挙げて、
もう、楽しみがなくなった時。

ぼくは、思い立ったように、
彼女を臼杵へと誘いました。


そこに行けば、
大日如来様もいらっしゃるし...


まだ、食べたことのない、
縁起物の「ふぐ料理」も
味わえると思ったからです。


その時、
臼杵城下のおみやげ屋さんで
紹介されたのが、
ここ、「ふぐ料理鮨光」さんでした。


店内に入ると、
噂どおりの頑固おやじが
待ち構えていました。

「あんたら、ふぐ食べたことあるんか?」


臼杵のふぐといえば、
日本中のふぐが集まる
下関の唐戸市場で、
最高値をつける高級魚。

ぼくたち二人が
この店にふさわしいかどうか、
確かめているようでした。


頑固おやじに
ぼくは答えました。

「ふぐは食べたことがありません。
だから、味もわかりません。
彼女が病気になってしまったので、
一度、食べさせてあげたいんです」


すると、
頑固おやじの態度は一変しました。

「美味しいふぐを
彼女に食べさせちゃる!」

あの時の彼女のうれしそうな顔を、
今でもはっきりと覚えています。


「生きてさえいてくれれば、
何度でもここへ連れてくるよ」

はじめてのふぐ料理を前に、
ぼくは彼女に約束をしました。


それからというもの、
この頑固おやじのお店は、
ぼくたちにとっての
再生の場所となりました。


今度の旅で、
アリスが病気になったことを
頑固おやじに伝えると、
彼はこういいました。

「あんたらは
信じないかもしれないけど、
その犬が、ママの悪いところを
食べてくれてるんよ」


頑固おやじにそういわれた時、
ぼくも彼女も
やっぱりそうだったのかな、
と心の中で思いました。

臼杵を発つ時、
車が真っすぐに走れなかったのは、
本当は、涙で前が見えなかったからです。

「ごめんねアリス、もう食べなくていいよ」

彼女はそう呟くと、
持ち帰ったふぐのかけらを、
アリスの口に入れました。