昨年の秋は11月にちゃまさんがスペインにいらしてくださったこともあり、
ちゃまさんとちゃまさんのお友達(スペイン人2人)と4人でパリに弾丸旅行に行ってきました。
私は仕事があり、パリ滞在は大体2日ともいえるくらい短く、、、
でも、有名どころは割と押さえられた感じでした。
パリに以前アリカンテで働いていた同僚のフランス美人まーさんが住んでいるのですが
彼女に会うことができたのも良かったです(再会については次回記事で!)。
スペインから飛行機でパリへ。
空港でパスポートを見せることも無く市内へ。
(ポルトガルも夜行列車で入ったのでパスポートチェック無し)
空港からAntonyまでは列車Bだったのですが大きな犬が私の足下で寝てその後列車内は非常に混み合い
身動き1つ出来ない状態でAntony駅に到着。
列車Bは旅行者1人だと怖いイメージでしたが18時頃だったので、心配するほどでもありませんでした。
地下鉄構内。
スペインと違ってポルトガル同様アフリカンの方々が多いな、という印象。
+あー、やっぱりなんか都会って感じで。
東京に近いな、服装の雰囲気は、、、と思いました。
ちゃまさんとお友達の方々とはノートルダム寺院近郊で待ち合わせ。
wiki
パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築 を代表する建物であり、フランス 、パリ のシテ島 にあるローマ・カトリック教会 の大聖堂 。「パリのセーヌ河岸 」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコ の世界遺産 に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂 として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリア を指す。
建物
ノートルダムの敷地は、ローマ時代 にはユピテル 神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒 はこの地にバシリカ を建設した。1163年 、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年 に完成した。ファサード を構成する双塔は1250年 に至るまで工事が続けられ、ヴォールト を支えるフライング・バットレス は12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年 。
1789年 に始まったフランス革命 により他の教会同様にノートルダム大聖堂も襲撃を受け、大聖堂を飾っていた歴代の王の彫像が破壊されて埋められた。この彫像群は1977年 に工事の際偶然発見され、現在では近くにあるクリュニー中世美術館 に展示されている[1] 。
ファサード を装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル 期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク によって大幅に改装されたものである。1831年 のヴィクトル・ユーゴー の小説『ノートルダム・ド・パリ 』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった。
出来事
1804年 5月28日 に帝政を宣言したナポレオン・ボナパルト の戴冠式は1804年 12月2日 にノートルダム大聖堂で行われた。
近くの橋の下にはこんな観光客船(?)も。
このあと、フランス美人まーさんが予約してくれている店に3人で向かいました。
はっきり言ってフランスビギナー4人、この日が一番フランスっぽい物が食べれた気がします(汗)。
なんかちゃまさんにガイドブックを見せて頂いていたのですが
おいしそうなパン屋さんとかカフェとかすごく点在していて効率よく回ろうっていうプランは難しくって。
短期では『パリ』って言う街を触る程度かな、と思いました。
パリは日本食通の人も多いって聞くのですが
早速こんな店も発見!
パリ散策、続きます。
今回も最後までおつきあい頂き
どうもありがとうございました。
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