今日は母の74回目の誕生
おめでとう!!!
いつも母は3月15日、「この日はキリがよくて好き」と言っていた。
わたしはいつも「キリがいい」とはなんぞや?と思っていた
母は自分にまつわることすべてが好きだったように思う。
ある意味ハッピーな人だ。
ホームに入居してからは同じ誕生月の方たちと一緒に誕生日祝いをしてもらっているようだ。
色々あるけどとりあえず無事に誕生日を迎えられて何よりと思っている。
母が認知症になりホームに入居してから、なーんとなく母と私の関係(大げさ)を考えるようになった。
大前提で母のことは好きだし、母のために何かすることは億劫ではない。
わたしは幼少期のころから割と母の顔色を見ながら生活していたように思う。
それは大人になってからは顕著だった。
きっとそれは母が父の顔色を見ながら生活をしていたからだ。
なにせ父は気難しい人だったから
何が言いたいかというと、、、もうわたしは母の顔色を見なくていいのだ!と今更気づいた。
もうすぐ50になろうかという私が、つい最近まで「あ、母が嫌がるなー」とか思いながら生活をしていた。
別にそれは人さまから見たら決して嫌がる内容ではない。
とにかくいつもなんとなく母の影があって、母と一緒に生活をしていないのに
母の顔色が気になっていた。あほか。。て感じだけど、三つ子の魂100までというように
染みついているのだと思う
でももう私は結婚をして家を出ているし、母は認知症になってしまい以前のような母じゃない。
「母が喜ぶこと=わたしも喜ぶこと」ではない。むしろわたしは嫌なのだ。ということに最近気づいた。
軽い母の呪縛から解放されつつある。
自分の人生だから母が喜ぶために生きなくてもいいということが最近になって認識できるようになった。
母がどう思うかじゃなく自分はどうしたいのか。そうやって生活をしていこうと思った。