晴れ渡った空と生い茂って輝く緑の木々、そして美しい芝生と石造りの校舎群。
キャンパスそのものが歴史博物館といっても過言ではないでしょう。
大学施設として併設されている美術館にもお邪魔してみました。
館内には、主としてプリンストンの関係者や卒業生からの寄贈の美術品などが展示され、
本格的な始業シーズンではなかったため、人もまばら。
寄贈…そのレベルが違います
。
古典から印象派に至る絵画、またキリスト教美術など
「ええっ、どうしてここに??」と言いたくなるような贅沢さです。
これが「大学の施設」というのですから、さすが、違います
。
キャンパスの周辺にはJ.CREWやアンテイラーなどのアメリカンカジュアルの衣料店も。
ミシェル・オバマ大統領夫人もたしかPrincetonの卒業生でしたね。
彼女はプリンストン入学が決まって寮生活に入る際、
同室になる予定だった白人女性の親が激怒して「うちの娘が黒人と同じ部屋なんて!」と
部屋の変更を学校側に申し立てる騒動があったとかで、
大統領選のさなかによくそのエピソードが取り上げられていました。
多民族国家アメリカ、プリンストンにもさまざまな人種の学生が集いますが、
やはり「人種」がもたらす疎外感というのは、現実としてまだまだあるのかもしれません
。
…が、そんなスノッブな香りがそこかしこに漂うキャンパスで、
今より遥かにそれが色濃い時代であったであろう、
そんな時代に、一人の日本人が華やかな青春を謳歌していました。
彼の名は近衛文隆。
その名が示すとおり、五摂家筆頭の近衛公爵家の若きプリンスです。
文隆は学習院を経て、米国留学に踏み切り、
ニュージャージー州にある名門ボーディングスクールであるローレンスヴィルスクールに学び、
プリンストン大学に進学
。
人を惹きつける天授の才は、彼を常に陽のあたる場所に導いたようで、
残されたエピソードからは、マイノリティたる日本人の影をいささかも感じさせません。
勉学よりむしろスポーツで注目され、キャプテンとしてプリンストン大学ゴルフ部を率いて
全米大会優勝に導きました。
父・文麿が首相に就き、日米関係がいよいよ難しい時期にさしかかると、
文隆は日本に帰国して父の秘書をつとめるようになります。
やがて本人も従軍し、日本は泥沼の戦争に突き進み、8月15日の終戦を迎えることになります。
悲劇のプリンスといわれるゆえんはここから…
。
文隆は満州で終戦を迎えますが、ソ連軍に捕えられて捕虜となりシベリアに送られ、長く厳しい抑留生活に入ります。
そして抑留問題がまさに解決しようかというとき、文隆はさい果ての地で息を引き取ります。
近衛家と太平洋戦争を追ったドキュメンタリー番組で、
プリンストン時代、文隆が学友と談笑している写真が紹介されました。
まさに人生最良の時、その一瞬が写真から溢れ出ているようでした
。
遥か時間を経過して、自分がプリンストンを訪れる機会を得たとき、
今も姿を変えず、そのままに残るキャンパスの建物を見てこみ上げるものがなかったとはいえません。
あの、周りすべてを輝かせたであろう影一つないまっすぐな視線の先に続いた未来に
もし戦争がなければ…
戦後69年を経た8月15日。
今日この日に、あの悲劇に係わり未来に続くことの叶わなかった数多の命に、
愚かな過ちを繰り返さぬことを誓い、そして彼らの御霊の安らかなることを祈ります。
