アメンバーのaranzoさんが書いていた記事で考えさせられたのでちょっと書いて見ます。
aranzoさんが書いた記事はこちら
子供が、親にしかられてそれを苦にして自殺してしまったという話。
自殺する子供が増えています。
その多くは、きっと、もう誰も助けてくれない、逃げよう、という気持ちと、誰も私の存在を認めてくれない、ここまでしたら誰か振り向いてくれるかもしれないという必死の思いなのではないかと思います。
親になって4年、自分の子供だったころのことをいっぱい、それはもう常に思い出すようになりました。
それも、ほとんどは自分が親からされたことはどんなことだったか、ということです。
それを思い出すと、自分が子供のころ親から言われたことは、きっとこんな意味だった、そしてそれは子供の私にはこのように写っていたということが、よくわかります。
たとえば、急にひどくしかられたことがありました。子供の私はまったくなぜこんなに急に叱られるのかわかりません。しかしひどく怒っている親に申し訳なくて、ごめんなさいごめんなさいと何度も謝ります。しばらく続く苦しい時間、早く終われととにかく親の求める答えを出そうとします。
ごめんなさいごめんなさい。
何が悪かったのか自分で考えて御覧なさいといわれます。
しかしわからないので、必死で何かの答えを出します。
違う、そうじゃないといわれても自分ではわかりようがないのです。
何かが悪かったのでしょうが、親がそれを教えてくれれば、それをごめんなさいというだけです。
そうしてわからないままに泣きじゃくり、ごめんなさいといい続け開放されます。
この話を思い出している今、当時何が悪かったのかは思い出せません。
そういうものなのだなぁと、思います。
叱られたことだけが、残る。
きっと悪い、叱り方。
さて、今、親の立場から、つい感情的になって怒ってしまうときがあります。
そんな時、上のエピソードを思い出します。
あぁ、この子は今、今叱られている苦しさから逃れたいがためだけに、ごめんなさいといっているのだな、自分がどうして叱られているかわからずに、ごめんなさいといっているのだな、ということがよく伝わってきます。
そんなときに、上のエピソードを運良く思い出して心が静まれば、ごめんね、お父さん強く言い過ぎた、これとこれが悪かったんだよ、こういうわけだからだめなんだよ、と、できる限りわかるように説明しようとします。
子供が、しかられたことですでに私を拒絶している、逃げたい状態だと、ほとんどこういう風にはなりません。
とにかく一度冷却期間をおいてからでないと、まったく「話」になりません。
こうして、子供は、「実はお父さんから嫌われているのかもしれない」と、少し思うのです。
それはいけないと思い、とにかくその後は、「娘ちゃん大好き!」と抱きしめるのを頻発します。できる限り一緒に遊ぶ時間を作ります。とにかくニコニコします。ありがとうといいます。
こうしたことで、うちの子供たちが「自殺しない子供」になるかどうかは、わかりません。
しかし、一度しかできない子育て、一度しかない人生を、自分はここまで歩いてこられた、子供たちは私が間違えれば途中で道を断ち切ってしまうかもしれない。
そうならないように、とにかくあなたは必要とされているのだよ、ということを自然に身につけられるように、常に考えるようにしています。
実際できているのかといえば、失敗の連続ではあるのですが、、、、、、、、
自殺する人は、必ず兆候が出ているそうです。
それは間違いなく、自殺してしまいそうだから助けてのサイン。
自殺は、怖い、絶対、間違いなく。できることなら、したくない。
でもそれよりももっと怖くて逃げたいことが、「誰からも認められず必要とされていない自分」
夜回り先生こと水谷修先生が言っています。
「外に出よう、誰かのために生きてみよう。そうすれば、必ず、ありがとうって言ってもらえる。」
DVDです。左が1、いいもんだよ、生きるって。右が2、生きていてくれてありがとう。
もちろん個人的な考えなので、私の考えにも、水谷先生の考えにも、偏りもあれば間違いもあるでしょう。人間ですから。
だけど、この人はものすごく子供たちのことを考えています。
まじめです、本気。
人の本気は子供に一番伝わりやすいんじゃ、ないでしょうか。
そして親が一番本気になれるのは、やっぱり、自分の、子供。
aranzoさん、ありがとう。