彼女がうち(の事業所)に来るのは、だいたい17時から17時半の間だ。

あまり、残業がない会社なんだろう(いいなあ)。


だから、なるべくその時間に俺もいたいということで時間を調節するものの、やはり上手くはいかない。

あせって、来る前に戻るか、彼女が来てから(こっそり残った伝票を見て確認・・・)戻ってくるかどっちかだ。


だから、久しぶりに彼女の姿を見たときは、この今運んでる荷物(想定30キロ)を片手で持ち上げてもいいっ、と思う程嬉しかった。



時間にして30秒だけど。もっと短いかもしれない。

1日のうちで、いや、ここ1週間で1番の時間だった。


メール便の受付はバイトがやっているので、特に人手が足りない時以外、俺が対応することはない。

彼女と会話することはないけれど、でも、いいんだ。

見てるだけで幸せな気分だから。



その後も、出勤途中や銀行に行く彼女の姿をちょくちょく見かけた。

正面から来ると、まるで待ち合わせをしてるカップルのような錯覚になる。


「ごめん、待った?」

「ううん、俺も今来たところだから」

ああ、言ってみてええええ。



そんなこんなで俺の妄想はどんどんエスカレートしていく。


だから、バレンタインデーの日なんかは朝から「チョコ渡されたらどうしよう」などと、

いろんなシチュエーションを考えていた。



すぐに「俺も実は・・・」と告白すべきか、

黙って受け取りクールさをアピールするか、

「困るんだよな~」は絶対言わないけど、

「今晩空いてる?」は早すぎるし・・・。



あんまり本気で考えすぎて、何回か車に惹かれそうになった。




当然といえば当然だが、チョコレートはなかった。

もしかして次の日かも!という甘い期待もむなしく消えた。




彼女の事は何も知らないけど、「好き」な気持ちは日増しに強くなる。


このままの状況では、単なるストーカーにもなりかねない。


そしてついに、これはもう、俺から告るべきなんじゃないか、という決心をしたのだった。





それはまさに、一瞬の出来事だった。

自分がドラマの主人公になったような気分だった。

ヒロインとの、恋に落ちる回。

ああ、神様、これが運命の出会いってやつですか。

待っていた甲斐があったんですね。

真面目に仕事していたご褒美ですね。



そのおっさんの事務所はそんなに広くも狭くもない、よくある一般的な事務所だった。

従業員も5人だけ。

彼女は受付嬢も兼ねているのか、見とれてぼんやりしてる俺に、話しかけた。

「あの、ハンコですか?」

「あ、いや、先ほどメール便の件でお問い合わせいただいて、書類を持ってきたんですが。」

「恐れ入ります。どうすればいいんでしょうか。」


そこで、俺はドキドキしながら一通りの流れを説明した。

なんだかいにおいがする。気がする。

無性に焦る。



そして最後に、いつもなら言わない一言を添えた。

「もし、毎日書類があるようでしたら、回収にお伺いしますが。」

「いえ、ある日とない日があるので、こちらからお願いに行きますので、大丈夫です。」


何とか毎日会える口実を作ろうと思った、短絡的な俺。そんなに上手くはいかねえか。

「あ、あとこの口座振替用紙をご提出いただけますか。」

「わかりました。最初のメール便の時に持っていきます。」

俺はとっさに書類の表紙に自分の苗字をカタカナで書き、彼女に手渡した。

「何かありましたら、私までお願いします。これ、名前です。」

「はい。よろしくお願いします。」

ファインプレーだ。心の中で「よっしゃー」と叫んだ。

とにかく、この仕事をやっていて良かった、と初めて思った。




しかし俺の「これから毎日会えるかもしれない」期待とは裏腹に、それから彼女に会えたのは1週間も後の事だった。





こんな関係を続けてもう何年になるんだろう。

何も生み出さない、何も生まれない、関係。


でも、結論が、結果がそんなに大事なの?

今が良ければ、それでいいんだもん。

それにすがるしか、ないんだもん。

結婚してるのが、そんなに偉いの?

結婚していないのが、そんなに恥ずかしいことなの?


私はどこに流れていくんだろう。このままどうすればいいんだろう。

前向きと、後ろ向きの感情が、常に交差してる。

答えなど、ないのだ。

結論は重要じゃないんだから。


「それって不倫じゃないの?」

親友の声がする。

そうだよ。不倫ですよ。悪いかよ。

「やめたほうがいいって。傷つくのは結局女なんだから。」

わかったような口利いて、なんだよ。

「相手の男も、子供もいるんだし、ロクなやつじゃないね。」

あんたに、彼の何がわかるっているのよ。なーんにも知らないくせに。

「ねえ、ほんと別れた方がいいってば。悪いことは言わないからさ。」

十分言ってるじゃん。


こうして親友が失われていく。

でも、いいんだ。私には、彼がいるんだから。


彼の横顔、少し分厚い唇。髪をかきわける癖。

細く、長い指。手のホクロ。

香水、時計、ネクタイ、ワイシャツ。

すべて、すべて、すべて。

数え上げたらきりがない。私ほど、彼を愛している人間はいないって、確信できるんだから。

それだけは絶対。


土曜日の朝、暖かい日差しを受けながら目を覚ました。

毛布を軽く引き寄せ、体を丸める。


今日もひとりだ。


おいしいチョコレートを買って食べよう。

少しは元気が出るかもしれない。

彼にも買っていこう。

きっと喜んでくれるはずだ。


とはいえ、これはフィクションなんだけど、ね。