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原風景の回復を夢見て
かつて、琵琶湖に次ぐ全国2位の広さを誇った八郎湖(八郎潟)。国策の干拓事業が1957年に始まったのを機に湖の風景はがらりと変わった。澄んだ湖水は周辺からの排水で全国有数の汚染度を記録している。県など自治体の水質改善策が強化されるなか、かつての湖の原風景を懐かしみ、復活を夢見る人たちの取り組みが続けられている。(五十嵐英樹)
◇愛着
消波堤を築いた八郎湖の湖畔でヨシなどの水草を再生する取り組みを続ける三浦さん 子供のころ、自宅から60メートル先に広がる八郎潟は格好の遊び場だった。ヨシやマコモが茂る湖畔の「潟」で泳ぎ、船に乗った。冬に氷が張ればスケートを楽しんだ。釣り糸も垂れた。毎日のように袋いっぱいのシジミを採り、みそ汁の具にした。少し塩気がある湖水でジャガイモを煮て味わったこともある。
「潟を抜きにしては自分の生活は考えられなかった。潟の方に向いて立ち小便は決してしなかった。神聖な場所でもあった」
潟上市天王大崎の県職員三浦新七(59)の潟への愛着は深い。
1995年、かつての湖を知る地元の人たちで作る「潟船保存会」を作った。打ち捨ててあった古い木製の船を集めて保存する活動を始め、2004年から県の助成金を得て、市内の子供たちに湖畔に水草を植えてもらい、潟の原風景を再現する活動を始めた。今のところ、植生できたのは100メートル足らずだが、将来的に湖の南半分に植える構想で、「100年後の子供たちへの贈り物」が合言葉だ。
潟には空きペットボトルなどのゴミが漂着。夏はアオコが発生し、異臭を放つ。「だども、子供たちに昔の潟はこんな風だったと見せたい」。脳梗塞(こうそく)の後遺症で少し不自由になった言葉を絞り出すように話す。
妻の祐子(46)は「潟は、あの人の人生そのもの。自分ももう一度見てみたいんだと思う」と夫を思いやる。
◇危機感
桜庭さん 「まだまだダメだ」
アオコが発生する夏、ワカサギを買い付ける加工業者が難色を示す。アオコのにおいが付いているためだ。湖水の水温が下がり、においが消えるのを待つしかないのだ。
「本当に悲しくなる。異臭がない湖に戻してもらいたい」
八郎湖増殖漁業協同組合組合長桜庭長治郎(75)はそう訴える。
湖畔の半農半漁の家庭に育った。10代から漁業一筋。干拓前は、湖底にハゼの仲間がゆっくりと泳いでいるのが見えた。「水1升に魚7合」と言われたほど漁業資源が豊かだった。
採っていたのは主にワカサギとシラウオ。捕まえた魚の大部分はつくだ煮になり、地域の人たちは、秋田市に行商に出かけた。
ところが、干拓で激変した。干拓前に約3000人いた漁師は、今では、250人に減った。桜庭の子供たちも、八郎湖の漁業に見切りを付け、別の職業に就いている。
漁協では、水を汚しているリンなどを体内に含むブラックバスやコイなどを捕獲し、肥料に転用する県などの取り組みに協力している。
「何とかして水をきれいにしたい」
桜庭の危機感は大きい。
◇実験
小林さん 干拓された後、大潟村に入植した人たちも八郎湖の汚染に心を痛めている。水田からの泥水が湖の汚染の一因になっているからだ。
1969年に五城目町から入植し、10ヘクタール以上の水田を耕してきた小林信雄(66)もその一人。米を宅配している小林は、安心、安全な食品を望んでいる消費者心理も感じていた。
高知県の四万十川の水を、木炭を使って浄化している取り組みをヒントに、2004年3月、農家の仲間とともに「大潟村木炭水質浄化研究会」を設立。村から土地の提供と補助金を受けて、炭焼き小屋を作った。木炭の材料は松食い虫の被害を受けた松などだ。
これまでに、作りためた木炭は約6トン、1000袋分に上る。それを使って、今年3月ごろ、初めての浄化実験を大潟村の排水路で行う。100袋余りの木炭をつるしたいかだを8か所に浮かべ、水の汚れを木炭に吸着させる仕組みだ。
実験の成否は未知数だが、小林は意気込む。
「30年かけて汚したので、30年かけて戻したい。夢のようだが、前向きに取り組んでいきたい」
原風景の回復を夢見て
かつて、琵琶湖に次ぐ全国2位の広さを誇った八郎湖(八郎潟)。国策の干拓事業が1957年に始まったのを機に湖の風景はがらりと変わった。澄んだ湖水は周辺からの排水で全国有数の汚染度を記録している。県など自治体の水質改善策が強化されるなか、かつての湖の原風景を懐かしみ、復活を夢見る人たちの取り組みが続けられている。(五十嵐英樹)
◇愛着
消波堤を築いた八郎湖の湖畔でヨシなどの水草を再生する取り組みを続ける三浦さん 子供のころ、自宅から60メートル先に広がる八郎潟は格好の遊び場だった。ヨシやマコモが茂る湖畔の「潟」で泳ぎ、船に乗った。冬に氷が張ればスケートを楽しんだ。釣り糸も垂れた。毎日のように袋いっぱいのシジミを採り、みそ汁の具にした。少し塩気がある湖水でジャガイモを煮て味わったこともある。
「潟を抜きにしては自分の生活は考えられなかった。潟の方に向いて立ち小便は決してしなかった。神聖な場所でもあった」
潟上市天王大崎の県職員三浦新七(59)の潟への愛着は深い。
1995年、かつての湖を知る地元の人たちで作る「潟船保存会」を作った。打ち捨ててあった古い木製の船を集めて保存する活動を始め、2004年から県の助成金を得て、市内の子供たちに湖畔に水草を植えてもらい、潟の原風景を再現する活動を始めた。今のところ、植生できたのは100メートル足らずだが、将来的に湖の南半分に植える構想で、「100年後の子供たちへの贈り物」が合言葉だ。
潟には空きペットボトルなどのゴミが漂着。夏はアオコが発生し、異臭を放つ。「だども、子供たちに昔の潟はこんな風だったと見せたい」。脳梗塞(こうそく)の後遺症で少し不自由になった言葉を絞り出すように話す。
妻の祐子(46)は「潟は、あの人の人生そのもの。自分ももう一度見てみたいんだと思う」と夫を思いやる。
◇危機感
桜庭さん 「まだまだダメだ」
アオコが発生する夏、ワカサギを買い付ける加工業者が難色を示す。アオコのにおいが付いているためだ。湖水の水温が下がり、においが消えるのを待つしかないのだ。
「本当に悲しくなる。異臭がない湖に戻してもらいたい」
八郎湖増殖漁業協同組合組合長桜庭長治郎(75)はそう訴える。
湖畔の半農半漁の家庭に育った。10代から漁業一筋。干拓前は、湖底にハゼの仲間がゆっくりと泳いでいるのが見えた。「水1升に魚7合」と言われたほど漁業資源が豊かだった。
採っていたのは主にワカサギとシラウオ。捕まえた魚の大部分はつくだ煮になり、地域の人たちは、秋田市に行商に出かけた。
ところが、干拓で激変した。干拓前に約3000人いた漁師は、今では、250人に減った。桜庭の子供たちも、八郎湖の漁業に見切りを付け、別の職業に就いている。
漁協では、水を汚しているリンなどを体内に含むブラックバスやコイなどを捕獲し、肥料に転用する県などの取り組みに協力している。
「何とかして水をきれいにしたい」
桜庭の危機感は大きい。
◇実験
小林さん 干拓された後、大潟村に入植した人たちも八郎湖の汚染に心を痛めている。水田からの泥水が湖の汚染の一因になっているからだ。
1969年に五城目町から入植し、10ヘクタール以上の水田を耕してきた小林信雄(66)もその一人。米を宅配している小林は、安心、安全な食品を望んでいる消費者心理も感じていた。
高知県の四万十川の水を、木炭を使って浄化している取り組みをヒントに、2004年3月、農家の仲間とともに「大潟村木炭水質浄化研究会」を設立。村から土地の提供と補助金を受けて、炭焼き小屋を作った。木炭の材料は松食い虫の被害を受けた松などだ。
これまでに、作りためた木炭は約6トン、1000袋分に上る。それを使って、今年3月ごろ、初めての浄化実験を大潟村の排水路で行う。100袋余りの木炭をつるしたいかだを8か所に浮かべ、水の汚れを木炭に吸着させる仕組みだ。
実験の成否は未知数だが、小林は意気込む。
「30年かけて汚したので、30年かけて戻したい。夢のようだが、前向きに取り組んでいきたい」