鳳凰台

鳳凰台上に鳳凰游び 鳳去り(おおとりさり)(むな)しく江(みずから)流る

呉宮の花草は 幽径に埋もれ 晋代の衣冠 古丘と成る

三山半ば落つ 青天の外 二水 中(わか)つ白鷺州

(すべて)浮雲 能く(おお)うが為に 長安見えず人を使(して) (うれ)へしむ

金陵:南京  

Yoshiのつぶやき】

昔鳳凰が遊んだという鳳凰山に今鳳凰はいなく 長江のみが

変わらず流れている。

呉の草花は怪しい道に埋もれ、晋代の衣冠は丘になっている。

三つの山は霧に覆われ、秦淮河と金川河が白鷺州で分かれている。

雲に覆われて長安は見えず人々は愁へている。

時の流れと長安の栄枯盛衰、河は何事もなく流れているが、世は変わる

という表現は漢詩や論語によく出て来る。日本では

年々再々花相似たり、年々再々人同じからずというところか。