此の時,阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね)到(き)て、天若日子の喪を弔ひたまう時に、天より降り至つる天若日子の父、又其の妻、皆哭きて云いしく、「我が子は死なずて有り祁理(けり)。我が君は死なずて座り祁理。」と云いて、手足に取り懸りて哭き悲しみき。其の過ちし所以は,此の二柱の神の容姿,甚(いと)能く相似たり。故、是を以ちて過ちき。是に阿遅志貴高日子根神、大く怒りて云いしく、「我が(うるは)しき友なれこそ弔い来つれ。何とかも吾を穢き死人に比ぶる。」と云ひて、御佩かせる十束剣を抜きて、其の喪屋を切り伏せ,足以ちて蹴離ち遣りき。此は美濃国の藍見河の川上の喪山ぞ。其の持ちて切れる太刀の名は、大量(おおはかり)と謂ひ、亦の名は神度剣(かむどのつるぎ)と謂う。故、阿遅志貴高日子根神は、怒りて飛び去りし時,此の伊呂妹、高比売命、其の御名を顕さむと思いき。故、歌いしく、
天なるや 弟棚機の 項(うな)がせる
玉の御統(みすまる) 御統に
穴玉はや み谷
二度 渡らす 阿遅志貴高 日子根神ぞ
と歌いました。 この歌は夷振りなり。
01天若日子:天津国玉神の子で天照大神の直系、人気若者だが、行ったきり帰って来ない。
02伊呂妹:同腹の妹
03弟棚機:うら若機織り娘
04項(うな)がせる:首にかける
建御雷神
是に天照大御神、詔りたまいしく、「亦曷(いづ)れの神を遣はさば吉けむ。」とのりたまひき。爾に思金神及諸の神白ししく、「天安河の河上の天の石屋に座す、名は伊津之尾羽張(いつのおはばり)神、是遣はすべし。若し亦此の神に非ずば、其の神の子、建御雷之男神、此れ遣はすべし。旦(また)其の天の尾羽張神は,逆に天安河のむ水を塞き上げて、道を塞きて居る故に、他(あだし)神は得行かじ。故、別に天迦久神を遣はして問うべし。」とまをしき。故爾に天迦久神を使はして、天の尾羽張神に問はしし時に、答へ白ししく、「恐(かしこ)し。仕え奉らむ。然れども此の道には、僕が子、建御雷神を遣はすべし。」とまをして、乃ち貢進(たてまつ)りき。爾に天鳥船神を、建御雷神の副えて遣はしたまいき。
01建御雷之男神:たけみいかづちのを
02天迦久神:あめのかくのかみ、ふいごの神
03天鳥船神:空を飛び、海を行く船
事代主神の帰服
是を以ちて此の二柱の神、出雲国の伊那佐の小浜に降り到りて十掬(つか)剣を抜きて、逆に浪の穂に刺し立て、その剣の前に趺(あぐ)み座して、其の大国主命に問ひて言りたまいしく、「天照大神、高木神の命以ちて、問ひに使はせり。汝(いまし)が宇志波祁流(うしはける),葦原中國は、我が御子の知らす国ぞと言依さし賜ひき。故、汝が心は奈何(いか)に。」とのり賜ひき。爾に答へ白ししく、「僕(あ)は得白(まを)さじ。我が子、八重事代主神、此れ白すべし。然るに鳥の遊為(あそびし),魚取りに、御大(みほ)の前(さき)に往きて,未だ還り来ず。」とまをしき。故爾に天の鳥船神を遣はして、八重事代主神を徴(め)し来て、問い賜ひし時に、その父の大神に語りて言いしく、「恐し。此の国は、天つ神の御子に立奉らむ。」といひて,即ち其の船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき。
01宇志波祁流:治める
02御大の前:美保の崎
【Yoshiのつぶやき】
古事記のこのあたりのIssue(課題?) は大国主命の天下統一に当たって、天上(高天原) と地上(大国主命)との戦いであり、地上では大国主命と諸国の豪族(?) との戦いであるが、実際の戦いの当事者が良く判らない。
天上と地上に象徴されることは、天皇家と大国主命だと思うが大国主命が出雲を統一している時期、都はどこにあったのだろう。奈良県かしら?
天若日子が高天原から地上に派遣され一体地上の統一はどうなっているか問われるのだが、
この当たり少し整理すると、

天若日子は、いざなぎの命といざなみの命に近い金山彦の神の子の、天津国玉神の子である。出雲で大国主命の娘、下照姫命と結婚した。下照姫の兄は、阿遅志貴高日子根神は、先に出て来た神であるが、本項の話では、天若日子と瓜二つという。天照大神と下照姫命、天の代表の子孫と地上の代表の子供が瓜二つとはどういうことか。いっそ同一人物である方がよっぽど判り易いと思う。ちなみに、阿遅(味)=鴨=加茂で 京都の上賀茂・下鴨神社の御本尊がこの神様だそうである。

ここで下鴨神社が出てくるとは思わなかった。学生時代何度も訪れた我が家のような神社である。
本日はここまでとしましょう。
天なるや 弟棚機の 項(うな)がせる
玉の御統(みすまる) 御統に
穴玉はや み谷
二度 渡らす 阿遅志貴高 日子根神ぞ
と歌いました。 この歌は夷振りなり。
01天若日子:天津国玉神の子で天照大神の直系、人気若者だが、行ったきり帰って来ない。
02伊呂妹:同腹の妹
03弟棚機:うら若機織り娘
04項(うな)がせる:首にかける
建御雷神
是に天照大御神、詔りたまいしく、「亦曷(いづ)れの神を遣はさば吉けむ。」とのりたまひき。爾に思金神及諸の神白ししく、「天安河の河上の天の石屋に座す、名は伊津之尾羽張(いつのおはばり)神、是遣はすべし。若し亦此の神に非ずば、其の神の子、建御雷之男神、此れ遣はすべし。旦(また)其の天の尾羽張神は,逆に天安河のむ水を塞き上げて、道を塞きて居る故に、他(あだし)神は得行かじ。故、別に天迦久神を遣はして問うべし。」とまをしき。故爾に天迦久神を使はして、天の尾羽張神に問はしし時に、答へ白ししく、「恐(かしこ)し。仕え奉らむ。然れども此の道には、僕が子、建御雷神を遣はすべし。」とまをして、乃ち貢進(たてまつ)りき。爾に天鳥船神を、建御雷神の副えて遣はしたまいき。
01建御雷之男神:たけみいかづちのを
02天迦久神:あめのかくのかみ、ふいごの神
03天鳥船神:空を飛び、海を行く船
事代主神の帰服
是を以ちて此の二柱の神、出雲国の伊那佐の小浜に降り到りて十掬(つか)剣を抜きて、逆に浪の穂に刺し立て、その剣の前に趺(あぐ)み座して、其の大国主命に問ひて言りたまいしく、「天照大神、高木神の命以ちて、問ひに使はせり。汝(いまし)が宇志波祁流(うしはける),葦原中國は、我が御子の知らす国ぞと言依さし賜ひき。故、汝が心は奈何(いか)に。」とのり賜ひき。爾に答へ白ししく、「僕(あ)は得白(まを)さじ。我が子、八重事代主神、此れ白すべし。然るに鳥の遊為(あそびし),魚取りに、御大(みほ)の前(さき)に往きて,未だ還り来ず。」とまをしき。故爾に天の鳥船神を遣はして、八重事代主神を徴(め)し来て、問い賜ひし時に、その父の大神に語りて言いしく、「恐し。此の国は、天つ神の御子に立奉らむ。」といひて,即ち其の船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき。
01宇志波祁流:治める
02御大の前:美保の崎
【Yoshiのつぶやき】
古事記のこのあたりのIssue(課題?) は大国主命の天下統一に当たって、天上(高天原) と地上(大国主命)との戦いであり、地上では大国主命と諸国の豪族(?) との戦いであるが、実際の戦いの当事者が良く判らない。
天上と地上に象徴されることは、天皇家と大国主命だと思うが大国主命が出雲を統一している時期、都はどこにあったのだろう。奈良県かしら?
天若日子が高天原から地上に派遣され一体地上の統一はどうなっているか問われるのだが、
この当たり少し整理すると、

天若日子は、いざなぎの命といざなみの命に近い金山彦の神の子の、天津国玉神の子である。出雲で大国主命の娘、下照姫命と結婚した。下照姫の兄は、阿遅志貴高日子根神は、先に出て来た神であるが、本項の話では、天若日子と瓜二つという。天照大神と下照姫命、天の代表の子孫と地上の代表の子供が瓜二つとはどういうことか。いっそ同一人物である方がよっぽど判り易いと思う。ちなみに、阿遅(味)=鴨=加茂で 京都の上賀茂・下鴨神社の御本尊がこの神様だそうである。

ここで下鴨神社が出てくるとは思わなかった。学生時代何度も訪れた我が家のような神社である。
本日はここまでとしましょう。